11月23日、国立民族学博物館(みんぱく)の特別展、交感する神と人 ヒンディーの神像 見てきました。お昼前から出かけたので、さらっと見れば、企画展のカナダ先住民のアート展も見られる? などと思っていたのですが。
みんぱくの企画をふたつ、同じ日に行けるはずもなく(ちなみに常設展も行けなかった...…)一室めで一時間半うろうろしてたら、そりゃー無理だろう...…行けなかったもうひとつの展示はこちら。
まず。入ったところに鐘があり。「触って鳴らしてね」と書いてあったので、喜んで触ったら 鳴 ら な い 。後から来たひとは、ふわっと触って、それは簡単にかんかん鳴らしている。なんで? なんでわたしは鳴らせないの?怪奇短編小説の冒頭?(これに何度かトライして、かなりここでうろうろしていました)(だから常設展まで行き着けないのだな……)
ヒンディー三大神、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ。で、ブラフマーが中心的存在なのに、教団、寺院がないそうです。ふたりまたは三人が、その名によって集まっている所には、的な...…?(ちなみに、この絵と鐘はほんの三歩くらいしか離れていませんが、ここへくるまでに10分くらいかかりました……)(だって鐘鳴らないから……)
ヴィシュヌがラーマーヤナのラーマに化身した時の忠義者の従者、お猿のハヌマーン。緑の葉が茂る山を持っていたらハヌマーンだそうだ(ラーマの弟を助けるために薬草の茂る山を丸ごと運んだという、ラーマへの忠義を示すエピソードがあるそうです)。
ラクシュミ(ヴィシュヌの妃)とサラスヴァティ(ブラフマーの妃)とガネーシャ(シヴァの息子)
この絵、すごいよ! 背景が紙幣だよ!(それも割と現代の)
これすごかった! 儀礼用の布なんだけど、観賞用、観光客のお土産用などに作られたもの。一点物で作り手のサインがあり、すごかった...…! 『貴婦人と一角獣』のミルフルールを思い出した!
『飾る』というコーナーがあって、文字通り、インドでは神像や神様の絵を飾っていて(壁に貼るとか、棚に置く、ではなくて。壁に貼った神様の絵に花を取り付ける、棚に置いた神像を季節ごとの衣装に着替えさせたり、花や石などでさらに美しく飾る)、神像を美しく装うことで神様への思い、信仰を実感し、ほかの人にも示すことができる…とな。
あとこれもすごかった!『見かわす』というコーナー! ひとは、神像や神様の絵をなんとなく見るんじゃなくて、しっかりと目を見つめることで神と人、双方向に交感できるそうで。だから礼拝の時はひとは目を閉じず、神の姿を見つめて、心に留める、と書いていました。神像の視線をきっちりと鑑賞者に向ける、ことさらに目を大きく作る、迫力、というか、迫ってくる何かがありました。これ、絶対、夜、閉館になってひとがいなくなったら目配せしあってるよね。
みんぱくの初代館長、梅棹忠夫氏の『文明の生態史観』だったと思うんですが、日本では宗教施設などは歴史的価値がなければだめだというような傾向があるが、タイやミャンマーなどではどんどん新しい仏像や寺院が作られている、今、信仰されている生きた宗教は常に刷新されている、というようなことが書かれていて、これがすごく印象的でした。今回のこの展示で、自動で鳴る打楽器があり、これは、もともとは寺院で朝夕決まった時間に礼拝で鳴らされていたものでしたが、現代になり、ひとたちの生活時間がばらばらになり、礼拝に集まれなくなり、じゃー、自動で鳴らそう! となったそうです。時代、社会の状況に合わせて、柔軟に姿を変える、インドのヒンディーという宗教は、まさしく梅棹先生の書かれた通り、刷新されているのだな、と思いました。
おまけ:お土産のインドのお菓子とお茶。お菓子は、わたし、パッケージの写真で、ミスドのオールドファッションみたいな食感を期待してたんですが。小麦粉感が全然ない...…!それと、オーブンで焼いた感もなく、そのままで食べられる粉類とナッツと香料をぎゅぎゅっと固めて作った、そういう感じ。日本のお干菓子に近い?ナッツとその他粉類のざりざりした食感と、カルダモンの風味がいいです。紅茶にすごく合う。おいしい。好み。まだ四つ五つ残っているので楽しみます。