しずかなインターネットを始めてから、意外とネタが尽きないな、となった。今、書くのが楽しいからそう思うだけなのかもしれない。書けるときにたくさん書き溜めて置こうと思う。
さて、「わたしのすき」というタグカテゴリの日記だが、早くも通番に「02」が付いた。本来なら02という番号には、それこそ01で紹介した遊戯王シリーズ2代目主人公の「遊城十代」や、デジモンアドベンチャー02の主人公「本宮大輔」、ゴッドイーター2の「ジュリウス・ヴィスコンティ」あたりが相応しいのだろうが、今後日記を書き散らすためにも、先に「鶴丸国永」の話をしてしまおうと考えたのだ。
ただ、まあ、お察しの方はお察しの通り、私が語る彼の話は、どうしたって心の柔いところを語らなければならなくなる。しかし、私は純粋に、私の思う「鶴丸国永」の魅力を伝えたい。だから、今回はできる限りエッセイっぽさを排して、「私から見た、皆がよく知る鶴丸国永」の話を、「刀剣乱舞ONLINE」の魅力を織り交ぜながら言及していこうと思う。
彼の修行前後の話もしようと思うので、まだ彼からの手紙を受け取っておらず楽しみにしているのなら、手紙を受け取ってから読むことをおすすめする。
鶴丸国永という刀剣男士
改めて、今回のテーマは日本刀の「太刀 銘国永(名物鶴丸)」……の方ではなく、刀剣乱舞に登場する刀剣男士「鶴丸国永」である。
私のこの秘密基地に辿り着いたあなたは、きっと刀剣乱舞のことなんて分かりきったことだとは思うが、あなたが刀剣乱舞のことをあまり知らないということもあるかもしれない。だから、念の為に一応、刀剣乱舞の――それも、原作である「刀剣乱舞ONLINE」について、おさらいしておこう。
西暦2205年。歴史の改変を目論む「歴史修正主義者」によって 過去への攻撃が始まった。
時の政府は、それを阻止するため「審神者」なる者を各時代へと送り出す。
審神者なる者とは、眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる、技を持つ者。
その技によって生み出された付喪神「刀剣男士」と共に歴史を守るため、審神者なる者は過去へ飛ぶ――
(公式サイトより引用:https://www.toukenranbu.jp/about/)
刀剣乱舞ONLINEとは、プレイヤーとしては忘れがちではあるが、分類としては「戦略育成シミュレーションゲーム」である。プレイヤーは審神者として、歴史を守るために刀剣男士を集めて出陣・育成し、様々なマップを攻略していくのが目的となる。
ちなまないが、私は歴史が大の苦手である。しかし、刀剣乱舞ONLINEおよびその関連作品は学生時代に日本史が苦手だったいきものでも全然楽しめる。気に入った刀剣男士が一口でも生まれたのであれば問題ないだろう。彼らの前の主が歩んできた歴史を、彼らの目線から語られる「物語」として見ることができる。だから、私のように歴史が苦手ないきものも、きっと楽しめるはずだ。
鶴丸国永は、その刀剣男士の中の一口(ひとふり)である。私は彼の公式紹介文をとても気に入っているので、こちらもそのまま引用させてもらう。
平安時代の刀工、五条国永の在銘太刀。鶴を思わせる白い衣を身に纏い、赤は戦ううちにつくだろうからなどと軽く言ってのける。そのさが、軽妙で酔狂であっても戦うことを忘れたことはない。
(公式サイトより引用:https://www.toukenranbu.jp/character/tsurumarukuninaga/)
この「軽妙で酔狂」という言葉の響きがとても良い。その次に「であっても戦うことを忘れたことはない」と続くのが、なかなかに鶴丸国永のことを表していて、私はかなり好きだ。
引用の通り、鶴丸国永は、平安時代の刀工「五条国永」によって打たれた、ざっと1000年くらいを生きた太刀である。しかし、自ら「じじい」と名乗るどっかのアプリアイコンの天下五剣とは違い、在り方が無垢で若々しい。にも関わらず、某天下五剣とは違った意味で、頼りがいのある年長者のような雰囲気を感じさせる。主を転々としてきた刃生経験豊富な刀ゆえだろうか。
ところで、一旦引用元のページに飛んで、立ち絵イラストを見てほしい。この儚げで可愛らしい見た目に反して、鶴丸国永の一人称はなんと、「俺」である。その上、飄々とした性格と男らしい口調、おまけに声も低いと来た。ギャップ萌えの塊である。刀剣乱舞ONLINEのリリースから9年経った今も、鶴丸国永は多くの審神者を魅了する。
鶴丸国永は「驚き」を重視する刀だ。奇襲を提案したり、遠征時には人々を驚かせてくると行って旅立ったり……敵や仲間の刀剣男士だけでなく、審神者も驚かせようとしてくる。鶴丸国永というのは、第一印象から驚かせてくる刀なのだ。
実は鶴丸国永はああでいて、使命に忠実だ。彼の紹介文をもう一度思い出してほしい。「そのさが、軽妙で酔狂であっても戦うことを忘れたことはない」……つまり刀の本分である「戦うこと」を忘れたことがないのだ。任務完了時には「毎日代わり映えのない任務だとしても、放置しちゃあいけないぜ」と、与えられた任務に対して真面目に向き合うよう審神者を諭すこともある。また、装備に関しても、信頼が第一で驚きは二の次だと言う。墓や神社から持ち去られたという来歴についても、「それだけ人気があった」としながらも、「感心できない」と評している。このように、鶴丸国永はかなり高い倫理感を持ち合わせているのである。
気さくで、親しみやすい性格。一方で、名刀としての高い矜持を持ち合わせている。
鶴丸国永の修行と帰還
とはいえ、実のところ、初(※)の鶴丸国永は台詞ではあまり本心を見せてはくれない。いや、口にする台詞は本音ではあるのだろうが、まだ審神者に対して心を開いてくれてはいない。
(※ 初:「うぶ」と読む。「極(きわめ)」になる前の、刀剣男士として顕現したての姿。)
鶴丸国永が初めて本心を見せるのは、彼が主を呼び付け、修行を申し出てからのことである。
刀剣乱舞ONLINEでは、練度が一定まで達した刀剣男士を修行に送ると、1日1通、合計3通の手紙が届けられる。鶴丸国永も例外ではなく、主たる審神者の我々に手紙を書いて送ってくれる。
己の有り様を見つめ直してくる、と手紙に綴った彼は、修行中、何故自分が驚きにこだわるのか、考えを巡らせていたようだ。手紙からして鶴丸国永は、己を盗み出したとされる執権・北条貞時が活躍していたとされる鎌倉時代後期に向かったらしい。
上述の通り、審神者としては恥ずかしながら、私は五教科のうち社会の歴史がてんで駄目なのでアレなのだが、この鶴丸国永の元主こと北条貞時は、元寇(=蒙古襲来)後の混乱、そしてその後の幕府内での権力闘争を収拾すべく奔走した人物であるらしい(※)。
(※ 「らしい」としたのは、私が自信を持って断言できないからである。)
鶴丸国永から見れば、北条貞時は「国内情勢平定に」「取り組まされたお人」であるようだ。彼は元主の歴史から己を見つめ直しながら、己が「驚き」にこだわることについて「平穏な日々が続くことの否定なんだろうか」と、手紙の中で吐露する。彼のこの文章には、どこか諦めや寂しさが滲み出ている気がする。
この手紙を受け取ったとき(※)、私は鶴丸国永という刀剣男士について、どう受け止めてよいか分からなかったところがある。
(※ 正確に言うと、我が本丸の鶴丸国永に関しては「修行呼び出し鳩」で即日修行を終わらせたので、私が手紙を読んだのは、彼が修行から帰還した後のことである。)
だから、私は過去に、日本史が苦手なりに、現存する鶴丸国永の来歴に少しだけ触れてみたことがある。鶴丸国永の元主は、北条貞時含め、そのほとんどが敗走しているとされている、と目にしたことがある。ここで、刀剣男士の設定を持ち出してみる。
精神と技をこめて造られた刀剣が人の形となった付喪神。
神である彼らにとって、より神格の低い審神者は、自分達よりも下の存在。
しかし同時に、刀剣の持ち主でもある。刀剣自身にとっては神格よりも、自分の持ち主である事の方が重要なため、「あるじ」や「ぬし」という名称で呼ぶ。
(公式設定集 刀剣乱舞絢爛図録より引用)
刀剣男士にとって、人は己よりも格下。しかしながら、同じ人である持ち主に対しては、少なからず愛情を持ち合わせている。
結局のところ、俺は幾人もの主が望んで、
それでも得られなかったものに反発してるだけなのかねえ。
(鶴丸国永より送られた3通目の手紙より引用)
この一文に、彼の本心や愛情のようなものが詰まっているように思う。
ここは私の想像だが、鶴丸国永も例に漏れず、元主たちに対しても、なんだかんだ言っても思い入れがあるのではなかろうか。元の主たちが平穏を望んでも得られなかったことに対し、悔しさのようなものを感じているのではなかろうか、と私は思うのだ。
自己を分析しながらも、「今更有り様を変えるなんざできやしない」と鶴丸国永は言う。その後に続く本文が私は好きなので、こちらもそのまま引用させてもらう。
できるとすれば、今代の主に平穏な日々を与えて、それを適度に混ぜっ返すことくらいか。
そうと決まれば善は急げだ。
きみの行く先を、白く照らすさ。
(鶴丸国永より送られた3通目の手紙より引用)
己を受け入れる前の鶴丸国永は、心做しか、それこそ退屈で死んでいるような声色である。極めた後の彼の台詞と、初の彼の台詞を聴き比べてみて欲しい。極の方が活き活きとしているように思える。
刀剣乱舞ONLINEはシステムやコンセプトの都合上、ストーリーやテキスト量は他のゲームより劣る。だからこそ、プレイヤーたる審神者は台詞からニュアンスを察することになるのだが……鶴丸国永の台詞のいくつかは、初と極で同じものがある。しかしながら、全く違って聞こえる。出陣時の「さぁ、大舞台の始まりだ!」という台詞一つ取っても、やはり極の方が、戦闘を楽しんでいる武神のような印象を覚える。斉藤壮馬氏の演技力の高さに脱帽する。
ここまで鶴丸国永の魅力を語ったが、彼に対する私の想いは語り尽くせないほどに大きい。ここまで好きになったのには理由があるのだが……やはり、ここで語るのはやめておこう。鶴丸国永の話は、どうしたって、フラットに語ることが難しい。
そのくらい、私は、鶴のように白い神様が――大好きだ。