昨晩興味深い記事を読んでしまったせいか、それとも遅くまでやっていた荷造りのせいかは分からないが、早朝に目が覚めてしまった。とても眠い。しかし、書き留めておきたいなということができたので、なんとなく書いてみようと思う。
まとまらない頭に降りてきたのは、「ファンとその対象について」「批判の表明」。それと、「好きの押し付け」というテーマだった。これを書いている私は半ば覚醒していない。わけのわからない文章を見返してつまらんと投げ出すよりは、私の中でなんとなく固まっている話をするほうが余程良いか。それなら、この状態でも書けそうな「好きの押し付け」の話に触れよう。
私は某戦略育成シュミレーションゲームの世界観とキャラクターが大好きで、もちろん、このゲームのメディアミックスにも触れている。そのゲームのコンセプトの一つに、「プレイヤー一人ひとりに拠点があり、同じ顔した彼らもまた、あなただけのものである」という感じのものがある。だから、そのゲームのメディアミックス作品は、同一設定の世界観で、それぞれ独立した世界で起こった出来事が描かれている。
ただまあ、原作と己の解釈、そしてメディアミックスで描かれるキャラクターは、往々にして「解釈が一致しない」ということがある。
私は特に、原作優先でメディアミックスに触れたとき、そのメディアミックス作品に対して「キャラクターが如何にキャラクターらしくあるか」と「ストーリーが面白いか」を重視し評価する傾向にある。件のゲームは、他の作品と比べても、プレイヤーの解釈に委ねられた箇所があまりにも大きい。だからこそ、しばしば私とメディアミックス作品の「キャラクター像」が乖離する。
そうなったとき、私は「あ、この作品苦手だな」と思い、それ以降触れないように決めている。しかし、私は黙ってはおけない質ゆえに、どうしても文句を言いたくなるし、それで数々の痛い目を見てきた。今は、そういった主観的な批判がプラスの要素を上回らない限り、誰でも見られるような環境にはなるべく出さないようには努めている。
ただ、割とこれにも問題がある。親しい相手は私がそれらを苦手としていることをよく知っているし、たまにその話をこっそりするため、その話題を振られることはあまりない。しかし、ファンのコミュニティで話をすると、ときおり、大きな問題にぶつかることがある。
私も含めてファンというのは、「メディアミックス含めた全てのコンテンツに触れている」ということを前提として話してしまうことがある。ファンの私が好きならあなたもきっと好きだろうとか、このキャラクターが好きならこの作品にも触れているだろう、などという先入観で会話をしてしまうのである。
私は、とあるゲームの舞台作品がものすごく苦手だし、嫌いだ。他の作品同様、その作品でも私の好きなキャラクターがキーパーソンとして登場するのだが、どうにもそのキャラクターについて、演出や脚本と役者の演技が私の趣味と合わない。しかし、私も私とて誰かの好きな作品を貶したいわけではない。なので、苦手であることを表に出さないように努めていた。
そんな折、Xで開いたスペースにて、その苦手な舞台作品について、スピーカーにマシンガントークをされてしまったのである。
ここで私も「苦手なのでやめて、話を振らないで」と言えばよかったし、その時点でブロックしてしまってもよかったのだが、どうにもはっきりと言えなかった。相手も悪気があって、その話題を振っているわけではないからだ。しかし、私にはかなり苦痛だったし、ちょっとしたトラウマとなった。
このしばらく後か前かは忘れたが、私も知らないうちに同じことをしてしまっていたらしい。通話アプリで、好きな作品について当時のフォロワーに話した後、「○○(舞台作品)も△△(私が好きな方の舞台作品)も苦手」だと打ち明けられたときは、「何故早く言ってくれなかったんだ」とか、「そういうスタンスは分かるところに書いておいてほしい」などと、ショックを受けたものだ。
この経験から学んだのは「事前に確認すること」である。コミュニケーションの基本といえばそうなのだが、心掛けねば意外と見落としがちなことが多い。
このケースだと、私は双方のコミュニケーションをスムーズにするために「○○(舞台作品)が好きじゃないんです、ごめんなさい」とハッキリと言ってしまえばよかった。こういうときに遠慮はしてはいけない。それで縁が切れるのであれば、その人とはそれまでの関係だったというだけの話だ。
あるいは、相手がどんなスタンスか分からない状態で話題を振る前に「○○見ました?」とか、「○○の話しても大丈夫ですか?」と聞けばよかったなあ、と思った。
コミュニケーションは難しい。他人が投稿した苦手なものが流れてきた、とかであればブロックしたり、ブラウザバックしたりすれば済む話なのだが、双方向のコミュニケーションとなるとそうもいかない。しかし、こういった好みの衝突事故は少しの確認で防げることもある。やはり何においても意思確認は大事だな、と痛感させられた。