人のエッセイを読んでいて、この人の文体は気持ちいいと思った経験はあるだろうか。この人は頭が良さそうだな、と感じた経験はあるだろうか。私は多々ある。
そして、そんな文章を書いてみたいと思ったことはあるだろうか。――私は、多々ある。
自分の芯を持っているように見せる文章のコツ、それは――「断言」。物事を語るとき、「そうだ」と言い切ってしまうことだ。
何かを語っている文章を読んだときに、文末に「かもしれない」が続くと、人は「えっ、この人大丈夫かな」と思うだろう。「自信がなさそう」だとか、「正しくない情報を話しているのではないか」と心配になることも多々ある。
しかし、「私は」で始まり、「である」のような断言で終わる文はどうだろうか。「私は〇〇である」「私は〇〇と思っている」「私は〇〇と感じた」など……もっと強く言うなら、「私は〇〇する」と言い切ってしまう。きっと、「この人は自分の考えを持っているんだろうな」と感じることだろう。
文章において断言を使用すると、自信を持っているさまを見せることができる。「私はこのような意見を持っているのだ」と、高らかに宣言することができる。
ただ、断言には魔力があると私は思う。断言は確かに私に自信を与えてくれるが、それは同時に、他の可能性を潰してしまうことのように思うのだ。
例えば、私が、書いた当初に思っていたことを書きなぐる。しかし、私の書いたことは必ずしも正しいとは限らない。ほとんどないはずだが、引用文が間違っている可能性だってある。それにもかかわらず、きっと何人かは私の情報を鵜呑みにしてしまうだろう。――きっと、己に自信のあるひよこひよさんなら、間違ったことは言わないだろう、と。
私もしがない一羽の鳥なので間違ったことを多々言うし、言葉遣いも上手い方ではない。ときには「〇〇だ」と断言しながら、知らず識らずのうちに嘘を発信している可能性だってある。これは私の日記に関わらず、他の人の情報もそうである。
以前世話になった上司は言っていた。何事にも疑問を持て、と。
断言されていることに対し、「そうかも~」で終わらずに、「ちがうかも~」と疑ってかかることこそ、現状を打破するきっかけになりうるのかもしれない。
……これを読んで「そうかも~」と少しでも思った純粋な方は、私の断言の魔力にかかっている可能性が高いので、気をつけようね。