ミュージカル『刀剣乱舞』~葵咲本紀~【ネタバレなし初見感想】

ひよこひよ
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 これは、過去に私が「はてなブログ」にて公開した記事を、加筆修正し、再編集したものである。当時書き残していた内容が奇跡的にサルベージできたのだが、これがなかなか私の中で面白かったので、こちらに載せておこうと思う。

とても長い前置き

大前提

 諸君、私は鶴丸国永が好きである。

 「前置き」なんて見出しに書いたけど、書き出しをどうすればいいか分からなくて、とりあえず大事なことを先に書いておいた。

 ――あれは、いろんなことがあって精神が死にそうになっていた頃。そのいろんなことは割愛する。まあとにかく、「死にたい」とまで思っていたあの頃。とある刀剣男士と、運命的な出会いを果たした。

 「鶴丸国永」である。

 ちなみにその頃の私はまだ鶴丸国永をお気に入りキャラの一人としか思ってなかった。しかし……いや、この話をここでするのはよそう。とにかく、彼の存在もまた、私の心に潤いと活力を与えてくれる存在だったのである。

余計にミュージカル刀剣乱舞を観に行きたくなった話

 そんなこんなで昨年(※2019年)の今頃に、ミュージカル刀剣乱舞から新作発表――そう、「葵咲本紀」の発表があった。出陣する刀剣男士及びキャストを見て私は更に驚かされることとなる。

 「鶴丸国永」の名前がある。

 思わず二度見どころか五度見くらいした。夢ではなかった。夢かと思って頬をつねったのを覚えている。ほっぺが痛かった。

 嬉しかった。三日月宗近への苦手意識を払拭し(※)、加州清光や和泉守兼定さんのような刀剣男士を活躍させてくれたミュージカル刀剣乱舞という大好きな作品に、大好きな鶴丸国永が出る。

 (※ 刀剣乱舞にハマりたての私は「三日月宗近」という存在が本当に苦手だったのだが、加州清光をきっかけにミュージカル刀剣乱舞の「阿津賀志山異聞」を視聴したことで、その意識が見事にひっくり返されることとなった。詳しい話はまた後日)

 どうにかしてチケットを取ろうとしていたところ、鶴丸国永推し(※当時)の仲の良いフォロワーと公演を観に行けることになった。フォロワーがチケットを当てたのだ。

 だが、キャストの体調不良等があり、観に行く予定だった公演は中止となった。その頃台風が接近していたので台風で中止かな、と思っていたらそちらの理由で中止になった。まさかの。

 発表があった夜、フォロワーと二人で泣いた。会場付近のホテルを予約していたので、二人で傷心旅行に出かけた。それはそれで楽しかった。でも、ちょっぴり寂しかった。

 その後、円盤も予約した。CDも歌合もパライソも予約した。そのためにカードを作って登録した。歌合については配信日とディレイ配信日に定時で爆速で仕事を終わらせて帰宅して見た。すごいね。好きな人のためなら何でもできそうってあながち間違いじゃないね。人じゃなくて刀剣男士だけどね。私の本丸じゃなくて他本丸の鶴丸国永だけどね。

 そんなこんなで、葵咲本紀を見るのは今年のGW無料配信までお預けとなった。

感想(という名の感情整理)

見ておいた方がより楽しめると思った作品

 ミュージカル刀剣乱舞6作目(※その間にライブ作品や奉納行事などもあるので正確な数字ではない)である「葵咲本紀」は、3作目の「三百年の子守唄」の途中の話である。単体で見ても全然大丈夫だ(と私は思う)が、三百年の子守唄を見ていた方が分かりやすいと思う。「三百年の子守唄は必修だ」と言う人もいるけれど、小説や漫画を三巻あたりから読んでも入っていけるような人なら、葵咲本紀から全然入ってもいいと思う。とはいえ、確かに三百年の子守唄と、4作目「つはものどもがゆめのあと」を見てからだと、ミュージカル刀剣乱舞というものが分かりやすいかもしれない。

 ちなみに私はどちらも履修してから挑んだ。三百年の子守唄は初演の方を(円盤とdアニメで)見た。

配信視聴中の私

 言い訳をすると、元々、ストーリーを楽しむつもりで見ようとしていた。しかし、心とは不思議なものである。強烈なものを目の当たりにすると、もうそれしか追えなくなってしまう。

 鶴丸国永が姿を現した瞬間、私は涙が出そうになった。そういうシーンではないので、私も本気で戸惑った。これを読んでる側の方が絶対「こいつ大丈夫か?」となると思うし、私も自分に若干引いた。こいつ大丈夫か? 大丈夫じゃない、問題だ。

 画面の向こうの鶴丸国永を見て、私は「本物がいる」と強く感じた。私は目を見開いて鶴丸国永の姿を追った。彼の姿が見えなくなってから、遅れてじわりと込み上げてくるものがあった。視聴していた時間のTwitterでの呟きには「え」とか「なに」とか「鶴丸国永」と謎の言葉が残されていた。

 正直、言葉に出来なかった。歌合は本丸アンソロジーみたいな話だったので、例えるならばアニメの刀剣乱舞花丸を見ているときの穏やかな気持ちになっていたのだけれど、葵咲本紀での鶴丸国永は、がっつり本筋のストーリーに関わってくる。本来はこれを生で見る予定だったのだ。Twitterで呟ける環境で観ることができて良かったと心底思った。こんなの生で見たらどうにかなってしまう。でも、やっぱり生で見たい。そんな矛盾した気持ちを握りしめて観ていた。

 私は形容し難い気持ちを抱えて配信を見ていた。不思議な気持ちだった。激情とも言い難い、でも穏やかとは決して言えない。「好き」なんて言葉では収まらない。なんでこんなに鶴丸国永に心を乱されているのだろう。

 私は二部の鶴丸国永のソロで泣いた。ぽろぽろと涙があふれた。約六インチの画面が眩しい。なんかもうどうしていいか分からなかった。この胸に抱えた整理できない気持ちが、言葉にならずにあふれてきたとしか思えなかった。

 感情に振り回されながら見守る三時間。気付けば配信が終わっていた。サブノート(※)に感想を書こうとしたけど歌合のときみたいにストーリーのことについてノートに書けなかった。

(※ サブノート:メインの手帳や日記以外の、感想などを綴るためのノート。当時の私は手帳にめちゃくちゃハマっていた)

 どうしよう。大切なストーリーが頭から飛んだ。円盤届いたらまっさらな気持ちで楽しめるぞ。やったね。それはポジティブすぎんか?

余談

 翌朝、宇宙一可愛い弟に、配信のときの私の話をした。いつも22時就寝の私が、葵咲本紀視聴のために23時まで起きていたものだから、弟からは「眠たかったんじゃない?」と言われた。お姉ちゃん、それは違うと思うなあ。

おわりに

 人は言葉では言い表せない感情を抱くと泣いてしまうようだ。私は普段人の姿をしただけのインターネットふしぎせいぶつ(※自称)だけども。

 感情の整理ができなかったのでこうして言葉にしてみようとしたけどやっぱりできなかった。なんて呼べばいいの、この気持ち。助けてほしい。助からない。

@trhnmkc
夢を見て絵を描く鳥。なりすましではなく本鳥です。嘘か本当か分からないことや、取り留めもないことばかりを書きます。