「しずかなインターネット」に放流した日記が意外と読まれている、と知ったのは、つい先日のことだ。
しずかなインターネットには、大雑把に「どれくらい記事を読まれたか、閲覧回数の総合計」と「どれくらい滞在してもらえたのか、閲覧時間の総合計」が分かるようになっている。そしてそれは、毎朝4時半更新になっている。
1週間で50回くらい読んでもらえたら嬉しいな、くらいに思っていたのだが、とある日記を公開したところ、他の記事の倍程度、訪問者がいたことが分かった。
某所でも話をしたが、本当は「普段はつまらんことや、退屈だと思うことでも、それを面白いと思える感性を取り戻したら、毎日を面白おかしく過ごせるよ」という話をしたかった。しかし、気付いたら、あったかもしれないし、なかったかもしれない、大切な思い出話をしてしまっていた。
これが某所でなかなかに好評だったらしい。私の心の柔いところの話をしていたので、ポジティブな消費をしてもらえるのは、とてもありがたいことである。ありがとう。
他の日記でも分かる通り、私の頭の中はぐちゃぐちゃしている。それをアウトプットしようとしても、すぐ違う話をしだす。テーマを決めると、多少はそれからズレないような話もできなくはないのだが、脱線して「結局、何が言いたかったんだ?」という話を書いてしまうこともしばしばある。
性格診断でよくある「頭の中は検討されていないアイデアでいっぱいだ」という質問。あれはきっと、私のことなのだろう。しかも、その「検討されていないアイデア」とやらは、きちんとデフラグメンテーションしてやらないと形にならないほどに小さい、情報の断片である。それらがきちんと形になったのが、私の見えている夢の世界だったり、夢の世界にやってくる住人との繋がりだったり、夢の世界から取り出された創作物や文章だったり、あるいは、単純に、私の思想を反映した文章だったりする。
情報の断片から生まれたものは、日常において、てんで役に立たないし、何かプラスになるようなこともあまりない。そういう退屈なものも、感情を大さじ一杯加え、何度も適度に混ぜっ返せば、多少は読み物として面白いものになるだろう。
感情を大さじ一杯、か。……おお、祝え! また一つ、検討されていないアイデアが誕生した瞬間である。
そうはならんやろ。