最近、Xに居るのがつらすぎる。タイッツーにそうこぼしたのは、3月26日の朝だった。
表に作品を載せるのも、Xを眺めるのも、支部でふと数字が目に入るのも、昨今の問題も、全てが嫌になってしまった
2024/3/26 9:18:40 のポストより
インターネットを――というより、Xを見れば、おすすめ欄がちらつく。そのタイムラインでは、常に誰かが苛々していて、常に誰かが悲しんでいる。同じものを愛でて楽しんでいる人を見ても、今の私にはなんだか楽しくなくて、心がささくれてしまう。
ふと、大学時代の学食やカフェテリアを思い出した。私の出身大学は、規模の割に入学者数が多く、学食の収容人数は明らかに足りていない状態だった。密集地に人がわんさか集まって話をしている、あの感じ。あれを思い出して、なんだかとても落ち着かない気持ちになった。
――こんなところに居られるか!
私はタイムラインの海を飛び出した。しずかなインターネットに散らばる他人の日記を読むために、XやBlueskyで「sizu.me」を検索にかけた。
文章を読むというのは、口語を除けば、他人の頭を覗ける唯一の方法である。
これがなかなか面白い。私は元々、エッセイやインタビュー、他人のブログを読むのが好きな質だ。しずかなインターネットが私に刺さった要因の一つはこれだろう。
しずかなインターネットにはいろんな人が居る。お喋りな人、日々を詩のように語る人、今日食べたものしか描いていない人、読書などの記録を淡々と残している人、15年くらい前のTwitterみたいな使い方をしている人、私みたいに何かを語っているいきもの……などなど。どれも、その人の個性や人間性のようなものが表れている。
他人の日記を読む、で思い出したのだが、そういえば私は、ゲームでも日記を読むことが好きだった。
「マジカルバケーション 5つの星がならぶとき」というDSのゲームがある。そのゲームでは、主人公たちの日記を読むことが出来る機能があった。
日記はストーリーを進めるごとに追加される。あのキャラクターは何を思ってその行動を取ったのか、あのキャラクターは出来事に対して何を思ったのかを垣間見ることができるのだ。
しずかなインターネットを眺めるときの感覚。マジバケ5つ星でみんなの日記を読んだときの、あの感覚に似ているかもしれない。他人の考えに触れる面白さというか、なんというか。
しかし、きっと私が見ているのは「しずかなインターネット」の表層なのだろう。私が見られるのは、URLを共有してくれている人の記事だけだ。きっと、隠されたままのお宝もたくさん眠っているのだろう。
しずかなインターネットは、ロマンに溢れたところだなあ。しみじみと思った。