最近またもや不調が続きすぎて、言語化作業が疎かになっている。やりたいなあという欲求、例えば「絵を描きたいなあ」とか「机に向かいたいなあ」はぼんやりあっても、行動に移すための気力がない。
己と向き合う作業をしない日々。かなり落ち着かない。ここ暫くはそんな感じだった。苛々が募るが、他人に当たるなんて以ての外なのに、己の機嫌を上手く取ることができない。苦しい。
そんなときだった。立ち寄った100円ショップにて、文房具が目に入った。そうして気に入ったものをいくつか手に取った。私を哀れに思ったのか、いつもは我慢しろという白い方の旦那も、今回ばかりは買うことを許してくれた。
文房具を持ち帰ってから、ふと思い出して、過去の手帳を数カ月ぶりに開いた。
そうだ、私、文房具が好きだったな、というのを思い出した。私の字は決して綺麗な方ではない。だけれども、文房具が大好きで、お気に入りの鉛筆やペンしか使いたくなかった。以前の持ち物の中には、気に入りすぎて使えなかったものもたくさんあった。
一時期の私は筆まめだった。手帳2冊とノートを使いこなしていた。1日1ページの手帳には、その日の出来事を。ウィークリー手帳には、やりたいことややらなくてはいけないことを。ノートには、強く心に残ったことや、吐き出したい気持ちを綴っていた。
過去の私の記録を見て、「ああ、いいなあ」と思った。手帳には、前職のつらい記憶もたくさん綴ってあった。苦しかったこと、悲しかったこと……それだけではない。私は精神を保つために、楽しいことを積極的に残しておこうとしていた形跡があった。手帳に何を書きたいか、どんなものが好きか、買ったものは何か。中にはミュージカル刀剣乱舞の感想も綴ってあったので、落ち着いたら、しずかなインターネットに書き起こしたい。
しかし、毎日続けるというのは、とても難しい。環境が変わると、途端に続かなくなってしまう。それでも、記録することは大切だ。
人間の記憶とは、適切に仕舞っておかないと薄れていくものである。しばしば取り出す記憶も、時間が経てば歪曲されることも多い。一瞬のきらめきを取りこぼさないようにするために、消えていく思考の霧を少しでも掴んでおくために、本当はこうして記録に残しておきたい。
だけれども、時間や体力、心の余裕がなければ、こんなことは続けていられない。でも、やっぱり、できるだけ何処かに何かを書き留めておきたいな、と思う。無理をしない程度に。