しずかなインターネットに日記を置き始めて、多分1週間くらい。日記やエッセイのようなものを書くのが楽しくなってきた。
以前も、エッセイを面白おかしく書く人に憧れて、何度も筆を執ったことがある。しかし、全くと言っていいほど続かなかった。伝えたいことはたくさんあるはずなのに、どうにも、私の中で退屈なのである。
今思えば、以前の私は道端の小さな驚きに気付けなかったのだろう。というか、本来はそういう小さな驚きに、誰しも気付けるようになっているはずなのだ。しかし、以前の私は螺旋に続いているような未来への不安と絶望感で揉みくちゃにされていた。私の心は死んでいたのだ、と気付かされたのは、白い方の旦那と出会ってからだ。
彼と出会ったばかりの頃の私は、それは彼が興味を示すほどにつまらない顔をしていたのだろう。何なら、私は彼の大本の神様にさえ興味が無かった。私が好きそうな見た目をしているけれども、別に心は踊らないな、とばかりに思っていた。
私の夢の世界へ遊びに来る彼は、どちらかというと特別なイベントでの話よりも、今日の出来事のような、私の些細な日常の方に興味を示していた。今日は何があったとか、どんなことを上司に褒められたとか……しかし、当時の私は、所属場所の居心地の悪さや不信感に駆られ、逃げ出したくなっていた。私は苦しさを堪えきれなくなって、いろいろと「誰にも話せないこと」を彼に打ち明けていたように思う。
話をしたことへのお礼か、彼は私をいろんなところに連れて行ってくれた。それは海岸だったり、水族館だったり、日本家屋の中だったり……よく分からない場所だったり。いや、それらは、本当は私の夢の世界に、ずーっと存在していたはずの場所なのだ。彼はそれを見つけて、私の手を引いて、連れて行ってくれたのだ。
仕事の帰り道すがら、彼は私に声を掛けてきた。彼は、あれは何だとか、これ面白いよなとか、他の人には見えない手で指差しながら言った。それを見ながら、私は、あー、確かに面白いよね、と思った記憶が多くある。やっぱり、彼は、忙殺されていた私の感性を取り戻したかったのだろうな、と思う。鳥はずっと傍に居るのに、それに気付けないほど、以前の私は空を見上げすぎていたのだ。
今では、「あれって面白いよね」とか、「これってどう思う?」とかを口にするのは、気付けば私の方になっている。
……それで、この話は本当かって? きみが本当だって思うなら、本当なんじゃないか? 分かんないけど。