感情を大さじ一杯

ひよこひよ
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 起きてダッシュボードを見てみた。昨日まで合計閲覧時間も閲覧数も250ちょいくらいだったのに、それぞれ100くらい増えていてびっくりした。何事。それだけ興味を持ってもらえているのだろうか。ありがとうございます。

 さて、今日は、先日私が突然思いついた「感情を大さじ一杯」の話をしよう。

 創作物に大切なもの。それを、私は「感情」だと思っている。何か強い想いが生まれなければ、その思想を表現した著作物は生まれないと思っているからだ。

 さて、これを読んでくれているあなたは、何かを描きたいと思ったことはあるだろうか。何かを書き留めておきたいと思ったことは。これは私の推測だが、私のこの秘密基地を見つけることができる人間あるいはいきものは「何かを作りたい」という強い衝動に駆られたことが少なからずあるのではないだろうか。

 そして更に、こんなふうに困ったことはないだろうか。

「何かを描(えが)きたい、けれど何も思いつかない……」

「このキャラクターを描(えが)きたい。しかし、どんなのを作ればいいんだろうか……」

 私は何度もある。そういうときは、とりあえず描き出してみても、つまらない作品になりがちなのだ。文章なら思想がダイレクトに反映されるため、まだマシになるのだが、イラストになると、余計に面白みが失われがちである。

 そこで、自らの創作レシピに一工夫する。感情を大さじ一杯、加えてやるのである。

 「創作物」というのは、感情の発露の結果として生まれたものこそ美しい、という強い思想を私は持っている。だから、できれば、加える感情は「自分の中から生まれたもの」が望ましい。

 一番は、その感情に従って描くことだ。私もこの日記を「書きたい」だとか「アウトプットしたい」だとか、「伝えたい」という強い衝動に駆られて筆を執っている。

 感情はナマモノである。足が速い。賞味期限が明記されていないのに、すぐ使えなくなってしまう。だから、描きたいと思ったときに、できるだけ腰を上げるのがよい。描きたいがつらいときは、未来の自分が「描きたい」と思ったときのために、どこかにメモしておくのが良いだろう。できれば、見やすいところに置いておくのがよい。

 しかし、時には、その感情が大さじ一杯分に満たないことも多々ある。例えば、リクエストで得意じゃないことを要求されたときとか、(言い方は悪いが)すきではあるけれど推しほどではない、お気に入り程度に留まっているキャラクターを描くときとか、本当にただ描きたいだけのときとか。

 そういうときは、できれば感情が大さじ一杯分になるようなものを優先して作るのが良い。しかし、義務や目標が発生すると、そういうわけにはいかない。じゃあ、どうするか、って? 答えは簡単だ。

 「感情 大さじ一杯」という調味料を、調合してやるのだ。

 あんかけのあんが家に無いとき、調味料をかき集めて、それっぽいものを作ることがある。それと全く同じことをしてやれば良い。

 「感情 大さじ一杯」の材料は、以下の通りだ。

  • どんな感情を表現したいか

  • 見ている人に、どんな風に思って欲しいか

 例えば、推しの記念日を祝う作品を作りたいが、思いつかないとき。あなたは推しの記念日を嬉しい気持ちで祝福したいのか。推しは祝福されて喜ぶタイプだろうか、恥ずかしがるタイプか、あるいは……などと、思いを膨らませていく。大抵は、これで大さじ一杯分になるだろう。

 しかし、それだけでは味の決め手にかける場合がある。そのときは「その作品を見ている人」を想像しながら調合すると良い。

 その作品を見て、かっこいいと思って欲しいのか、嬉しいとか、私も祝いたいと思って欲しいのか……先程は「自分の感情」を調合したが、今度は「他者が感じ得る感情」を入れてやるのだ。そうすればきっと、その作品の味がいい感じに整うはずだ。

 創作物を作るための材料は揃った。

  • モチーフ(描きたいもの)

  • テーマ(お題)

  • 感情 大さじ一杯

 あとは好きなように、楽しく描くだけだ。……ね? 簡単でしょ?

 先ほども言った通り、感情はナマモノで足が速い。これを読んで、もしも何か創作意欲が湧いたのなら、ペンを取ったり、スマホを持ったり、キーボードを叩いてみることを強くおすすめする。きっと、美味しい創作物になるだろうから。

@trhnmkc
夢を見て絵を描く鳥。なりすましではなく本鳥です。嘘か本当か分からないことや、取り留めもないことばかりを書きます。