今日の天気は雨。風が強く、雪が降るでしょう。
実際の今日の天気はどうだったかというと、ものすごい悪天候だった。私の住んでいるところは最上階なのだが、若干家が揺れているのかと思うくらい、風が強かった。寝ている時間に吹雪かれるのも困るが、起きている、ましてや休みの日にこれなので、ちょっとビビっていた。
ビビり散らかした私は、あることを思いついた。雨風の音を私の認識からかき消す方法だ。家で暇そうにしている弟を誘って、動画を視聴することにした。
ファンとしては恥ずかしいことに、実は某2.5次元ミュージカルのとある公演をまだ観てなかったのである。あの作品なら集中して観られるだろうし、新作公演を観に行く前には観ておきたい作品だったので、タイミングとしては丁度良かったのだ。
……一言で言おう。とても……とても面白い作品であった。
私は、この「面白かった」というきらきらとした気持ちと、推しに対する感情を書き留めておきたいと強く感じ、筆を執ってみた。まだ視聴は1回通して観ただけなので、生まれたてほやほやの感情である。これを忘れたくなくて、知り合いしか見られないところにメモ代わりに感想を書き出してみた。
出てくる言葉の羅列は、驚くべきことに「表現された推しの感情描写に同調したもの」や「自分、自語りいいすか」的な感じのものばかりだった。
……ちょっとこれは、整理しないと、しずかなインターネットでさえお出しできない。そう思うくらい、私の過去を想起される場面が見事に悪い意味でぶっ刺さっていた。
強いプラスの感情というものは、ときにマイナスの感情を引き起こす。
「感想を論ずるにあたって、作品外の、私の経験にも基づく感情も当然含まれてしまうが、それでもこの作品は良かったと言いたい」とき、言葉を選ぶ必要があると思っている。
そして、この日記のタイトルの話に戻るのである。「感じた想いを論ずるって、むずくね?」と。
感想も通常の文章と同じく、「事実」「理由」「結論」で論ずると話がしやすい。例えば、「目覚めたばかりの仲間を推しが理由も話さずに殴った場面(事実)」に対し、「私は辛く感じた(結論、感想部分)」に「推しが酷いことをしているように感じたから(理由)」を持ってきたらどうだろうか。「なるほど、その私(=筆者)にとっては推しが極悪人に見えてしまったから、辛くなったんだな」と、腑に落ちることだろう。
この理由をフラットに論ずるのがめちゃくちゃに難しい。感想というのは自分が「感じて想ったこと」だからだ。どうしても、自分と感想は切り離すことが難しい。今回見た作品や某日記で何色を示した作品は特に「私の心の柔いところが傷つけられた経験」を想起させるものだった。
……いやあ、これ、どうしても書いておきたいけど、どう説明したものか。筆を執って、私は悩んでしまった。だってこんな話、誰も聞きたくないだろ、と私は思ってしまったからだ。というか、私が書いてて面白くない。
こういうとき、選択肢は2つである。
1つ目は「書かないこと」である。要らないことは言わないのが賢い人間のやり方だ。しかし、私にはそれがどうもできそうもない。自分の中で抱えていると、次第に心が蝕まれて辛くなってしまう。
そういう人におすすめなのが、「しずかなインターネット」……ここである。
しずかなインターネットは「自分だけ」に見せる設定ができる。とりあえず書いて、数日寝かして、「あ、これ公開できないわ」と思えばそのままにしておく。己の感情を殺す必要はない。そうして、それを元に、新たな文章を生み出せばいい。
……はあ。これは良くないところなのだが、困ったことに、私は文章を作成しながら物事を考える節がある。「~私は悩んでしまった。」のところまでは本当に「これ、どうしようか……推しに対して少し批判的すぎやしないか……」と悩んでいたのに、選択肢の話をし始めた途端、「じゃあ分割して、おすすめしたいという感情と、どうしてもここはつらいというエッセイを書いたらいいじゃないか」という考えが浮かんだ。だからいつも、私の文章は脈絡が無く、めちゃくちゃなのだ。
このように、感じたことや想ったことを素直に表現して公開するのは、本当に難しい。しかし、大丈夫。世の中には私のように、こんなめちゃくちゃな文章を書いて、インターネットに放流する鳥も居る。
己の感情を素直に表現することを、ためらいたくない。そして、ためらわないでほしい、と私は願う。