虫は、自然の中で生まれ、育ち、死んでいくもの。だから自然の中で生きて死ぬのが最上級の幸せで、その他の生は彼らにとって不幸以外のなんでもないと思っていましたが、飼育をしてると、ちょっとそれは思い込みかもしれないという瞬間があります。
エサ皿のゼリーをどかして落ち着いてるクワガタ。
狭くて丁度いいのでしょうか。それか、人間が自分を囲う系の椅子とか落ち着くように、彼らもサナギの時を思い出して落ち着くんですかね。このエサ皿の傾斜はフタの面が深く底の面が浅くなっていて、深いところにお尻をやって浅いところを頭にしてる様子が、こないだ作った蛹室を思い出させました。
続いて、造花グリーンの葉っぱに集まるシロテンたち。
これもやっぱり、本物の草木と匂いも感触も絶対違うと思うのですが、それでも興味を示して集まっている様子を見ると草木の代替品として受け入れているんじゃないのか?と思ってしまいます。
ど、どんな気持ちなんだろう…。話を聞いてみたい…。(ソワソワ)
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自分の悩みの解決の糸口になればと、色んな動画を観漁ってる中こんな動画を見つけました。
話の本題も面白いんですけど、それより私は虫が脳に相当する中枢神経を持ち夢を見るという話を知れて嬉しくてですね!
虫たちが感情を持っているような行動を、学習した記憶などに影響されてするというのはネットサーフィンで私も見ましたけど、イマイチ眉唾ではありました。
でも、夢を見るなんて、つまりやっぱり、虫も神経系から得た情報を蓄積・保存する、記憶を保持するからその整理に睡眠が必要で夢を見てるんじゃないかと思ったら、私たちと程度は違えど少なからず生物的な感情や思考を持ってる可能性が高まってきて夢が広がりングよね。
で、冒頭の話を引っ張ってくるんだけど、エサ皿とか造花のような明らかに自然界にないプラスチック製のものが居住空間にあっても、彼らはそれらと自分なりに付き合っていくんだなって。
虫の累代は早いし、もしかすると虫は自然下で暮らすのが一番幸せだというのは私たち人間の信仰じみた古い思い込みで、最近の虫は街灯を月や太陽と違うと認識しながらも敢えて繁殖のためにコンパ感覚で集まってるんじゃないかと。建物の壁や車のフロントガラスも彼らの生活の一部になってるのかなぁと。
少なくとも、都会で暮らす虫たちはそんな感じがする。
もしかしたらいつか、愛玩動物として進化した猫や犬のように、飼育下独自の進化をする昆虫というのも出てくるかもしれないね。