私の作った砂のケーキを食べてよ

Trigonophorus
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人間ってなんで、自分が不幸・惨めだと思ってるとき、自分より幸せ・立派と思う人を同じ低さまで堕ちて欲しいと、または自分より更に低いところに堕ちて苦しんで欲しいと思うんだろうか。

これは他人事の話をしてるんじゃない。私だってそうだ。何度他人が恨めしく報復してやろう刺し違えてでもと思ったか分からない。

私はそれをどう切り抜けたのかというと、「自分には報復するだけの力がない」「仮にあったとして、そのお金やエネルギーで気を紛らわしたり楽しいことをしてさっさと忘れるなり幸せになりたい」「というかそもそも恨みや怒りを内に飼って潰れるタイプなのでその生き方は自分に向いてない」「だからどんなに煮え湯を飲まされるような思いをしても何度でも人を信じ親切にして、応えてくれる相手を根気強く探す」という結論にとりあえず至ったからだ。

あとは、誰かにそうした感情を抱いたときって、大抵自分単位の悲しみや怒りがあるから、そこにグッ!と拡大して自分の心だけ見るようにする。すると、報復は目的でなくあくまで手段で、相手に自分の痛み苦しみを分かって欲しいとか大切なものを取り上げないで欲しいとか、そういう要望が核にあったりする。そういう本来の願いが見えてくるまで自分の内側で怒りや嫉妬と話して余分な感情を削ぎ落とす。…まぁ、私はその作業で辿り着くのが大体かなしい~😭とか好きだったのに~😔とかだから、性根が温和な方かもね。

そうじゃなくて、どこまで行っても害意や悪意しかなくて、内側に獰猛さを飼いながら社会生活を送ってる人もいるだろうな。気の毒に思うけど、怖いからできるだけ出くわしませんように…!というのが本音だ。

いやだって本人にとっても私みたいな手合いとの接触は毒でしょ。多分私がその人より不幸になる意外何したってイライラするんだろうし、そんなのこっちだって不幸になんかなりたくないし、お互い見えないところで自分なりの幸せを追い求めましょうねー以上の最適解ってあるか…!?

でも、なんでか分からないけど、こうした深い闇を抱えた人たちについてついつい想いを馳せてしまいがち。というのもよく寄ってくるんですよ、大抵は陰湿な意地悪をしに。昔は唯々敵としか思ってなかったけど、あまりにも姿を変えてしょっちゅう現れるので、彼らの心の中の嵐を思い「早く楽になりなさいよ~自分で苦しくしてんだからね!」と言ってやりたいような、そんな情みたいなものをもはや感じるんですね。

あのね、おんなじところにいたって、隣に座って肩を抱き寄せたって他人と全く同じようにものを見たり感じたりできないんだよ。悲しいけど。自分を理解してもらいたいなら声や言葉で伝えるしかないし、それが運良く自分と似た人に届いてやっと部分的に…って感じだよ。ましてや、苦痛を伴う感情なんかみんな自分のものでさえ早く逃げ出したいのに無理だって。

だから、かなしい気持ちに取り憑かれると、「誰も分かってくれない」の沼に沈んで孤独になるしかない。本当に貴方が寂しくて誰かに分かって欲しい…と、いう名の隠れ蓑を被った「自分も誰かに受け入れて欲しい」が願いの根幹だと言うのならば、誰しもが感じていたい気持ちのいい感情から共感してもらうことを始めて、その中からより暗い感情も分かり合える人を探せばいい。急がば回れだね。

でも、誰も分かってくれない!沼の深部にいながら壊れないで自分の感情を素直に正直に言葉や線や色として紡げるのなら、そこにいてもいいかも。そして作品とか作るといいかも。

私はそんな息苦しいのはごめんだね。