統合する

Trigonophorus
·
公開:2025/10/28

気付いたことがあって、

私は自分の中の負の感情や道徳的でない部分を受け入れたがらないところがあるなって。

そしてそれは自分の中の話だけじゃなく、そういう気質を持った他人に対しても拒絶しがちだ。

「悪いヤツ、やなヤツなんてそれでいいじゃん」と思うかもしれませんが、そりゃ社会に参加する一員としては不道徳だったり法に背いてる人を許さない態度を建前上とらねばならない時もあるけど、一人一人が嘘発見器にかけられて精査されるわけでもなし、心の中で想う分には自由じゃない?って心境に今更ながらなってきた。

何故かというと、そうしないと自分のメンタルが持たなかったから。

ブルスカでの荒れてる様子や1つ前の錯乱した記録を見て分かるとおり、私はこれまでの人生でなんの接点もなかった初対面の人から性格が悪いに決まってるという前提で来られることが多かったし、どこで何をしてどのグループに入ってもあいつは性格が悪いと決めつけられてきた。

一応自分の名誉のために訂正させていただくと、性格が悪いと聞いて想起する意地悪さや狡猾さを私は持ち合わせていない。そこまで賢くないともいえる。私と現実に深く関わったことのある人なら分かると思うけど、性格が悪いというかただひたすらだらしない怠け者で気が小さい臆病者なだけだ。たまに言葉遣いが汚かったり笑いのセンスが下品な点はあるけど、そんなの小悪党もいいところで、相手に合わせて引っ込める配慮とか思い遣りは備えてるつもり。

けど、それでも悪者悪者と言われてしまうのには、私の顔が生まれつき平均よりちょっとかわいいのと、三白眼気味な目とピンセットで抜きすぎて触覚みたいになってる細眉が怖い印象を与えるせいもあると思われる。しかしこればかりはどうしようもない。美形=自分の安寧や権利を侵害する敵であるという刷り込みからの防衛本能を抱くなと言う方が暴力的だ。そう感じちゃうものなんだろう。

だから引き続き、私はこの先もさして関わったことのない他人からあいつは絶対性格が悪いだの浮気するだの先入観を持たれたり、その事実無根な思い込みの上に成り立った蜃気楼のような悪者イメージから攻撃的、または排他的な態度をとられるんだろうなと観念はしてます。

ってゆークソ回りくどい前置きはブン投げてだな。

そういう部分もあれどね、私に不道徳的な面があるのも事実です。みんなが思うほど悪人じゃないしマジで悪いことに興味ないんだけど、仕事休みたいあまり仮病を訴える不届きな悪さはある。田舎や深夜の見通しのいい道路で周囲に歩行者がいなければ信号を無視する悪さもある。薄毛の人をハゲって言っちゃうところもある。自分と同じ発達障害や精神疾患を持ちながらもチヤホヤされてたり社会的にキラキラしてる人に「くそっ!私と何が違うんだこいつは!」と激しく嫉妬して悪口を言うところもある。そこは確かに悪なのだ。

自分のそういう面が表に出た時、友達のいない私は誰に弁護してもらえることもなく、また自分自身も自己肯定感が低く言い返せない性格であったため、周りに言われるがまま「あぁ、私って悪なんだ。この感情はダメなんだ。消さなきゃいけないんだ。じゃないと社会から弾かれてしまう。」と認識して今日まで過ごしてきた。

だが、そうして清く正しく美しく生きていても「正義マン」「殴る先が変わっただけでまたやるよコイツは」みたいなことを遠巻きに揶揄されたりしていて、ムムッ!?と思っていた。

しかしどうだろう、その指摘を頭の隅に置いて過ごせば過ごすほど、なるほど、悪に対する認識を多数派と揃えたところでそれを排斥しようとする癖みたいなのは確かに残っている。

ということは、ここはまだゴールじゃなくて、もっと踏み込んだ心構えや認識を持つ必要があるなと。そう、それが自分の中の悪や、今まで悪人だと認識して攻撃的な感情を抱いていた人やグループを許す、受け入れるという答えに辿り着いた経緯だ。

悪は誰の中にも大なり小なりいる。

それを叩き出したり消し去ろうとするんじゃなく、そいつが暴走して自分を破滅させたり他人に迷惑かけないように上手く付き合うんだ。抑圧すると膨らんだり爆発するから。

という考えに至り、

「なんだ、性格悪くたっていいじゃん。嫌われるかもしれないけど、その相手は私がいい子でもちょっとしたはずみで嫌いに傾くかもしれないし、そんな息苦しい人に好かれなくたっていいや。」

「好かれるために自分の本心さえ騙して嘯くのやめよう。悪い心の方でも物事を感じながらその上で、どうしたい?って自問した答えで人生の行動選択をしていこう」

みたいな変化がありましたよっと。

そんな夜なのでした。