切り分ける╱過去に生きない

Trigonophorus
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公開:2025/10/30

自分のためにも関わって迷惑をかけたり傷付けた相手のためにも、いざこざは忘れて生きるのだと今の仕事や生活に集中するぞと過ごした上半期でしたが、ここ最近は過去あったことで受けた嫌な感情がマグマのように噴き出してメンタルのパフォーマンスが激下がりしていた。

昨日身近なお世話になってる方と話して、私ははいつも不安でいてすぐ人をカテゴリ分けして特定のグループや特徴を持った人を自分の天敵と認識して良い感情を抱けないと悩みを打ち明けてみた。その方は私の悲喜交々を見てきてある程度私を分かっている人で、「その不安や警戒心の強さは事前にトラブルを避けるために鍛えられた貴方の長所でもあるんじゃない?」と言ってもらえてハッとして、嬉しかった。

そうか。自分では、杞憂ばかりで臆病な情けない人間だと思えて嫌いな部分だったけど、それはその通り私なりの生存戦略だったんだよな。母子家庭で弟も介護が必要で、親に相談できない環境の中いじめもあって追い込まれた状況の中必死で編み出した生き残り戦法といえる。

これしかなかった。嫌なヤツ怖いヤツの共通点を見出だしてパターン化して、極力接触しないようにしたり忌み嫌って自分の心を守った。それが後に無礼なレッテル貼りや、偏見からの攻撃的な態度に傾いてしまう種だと知らずに。

私はおそらく境界性パーソナリティー障害のなんかだと思う。最近では人と関わる機会が増え自分と他者では1つの出来事に全然違う感情を抱くことがあると分かるようになりましたけど、長らくそれすらも分からなかった。「(私が自分を嫌いだから)あの人も私のことなんか嫌いなはずだ」「(私がこの人の機嫌をとらないから)この人は怒っている」「(私がこういう人を嫌いだから)この人は狡猾な極悪人で、この人を否定する言葉は多くの人に共感されるはずだ」みたいな…。

そして、「自分と他人は、1つのことに全く違う気持ちや思考を抱いたり、その違った状態で同じ空間や時間に居合わせることもある」から更に踏み込んで、他者をカテゴリ化してまとめて嫌ったり、また逆に無条件に信頼するのは、相手を深く傷付けたりとんでもなく足下を掬われたりする悪手である…ということに昨日の話で気付いた。

ギャルだけど穏やかで友好的な人、オタクだけど荒々しくて好戦的な人。こいつは敵だ!も、この人は味方だから安心、も、ちゃんと付き合ってみないことには分からない。外側から見える情報だけではその人を掌握できないんだ。カテゴリ化して事前に拒絶したり警戒を解くといった横着はできないと、どこまでいってもコミュニケーションを省略したり避けることはできないのだなと、人相手に楽はできないことに感慨深い気持ちになった。どんなに技術や文明が発展しても人との関わりは自動化できないのだ。そう思うと、自分の中にもそうした奥深い世界が広がってるのかなと思えて、なんか嬉しくなった。

切り分ける。

私と他人は違う。

あの人とこの人も違う。

それぞれの脳を持って同じ空間を漂ってる。

そして、生きているのは今。目の前に現れたのが過去に私を苦しめた人とどんなに共通点があっても別人だから、もしかすると今度は私の人生にとって大事な学びを授けてくれるかもしれないし、その逆も起こり得る。

過去と今と、

私とあの人とこの人。

小さな粒々がひしめきあって輝いてる。

構造色だね。