オカルト学院にルックバックにまほよめに、アニメは観てるのに特に感想も書かず自身の健康面や恋愛に関することばかりで悔しいね。
や、色々思って観はしてるんですが、書くとなると多分3時間はかかりそうで億劫で…。
短文ブログSNSに慣れきってしまうのも怖いね。断片的な感情や思考をアウトプットできるので、それをわざわざ文章に落とし込むためにどう点と点を結べばいいのかという能力の衰えを感じる。故に文章を書くのが遅くなる。
誰だったかな、最近Xで今のオタクって物語より断片的なエモーショナルを楽しんでるよね的な話をしてたけど、それって現代のブログ・個人サイト文化が廃れたインターネットを下地にして育ってる以上仕方ないのかなって思う。推し活にしろオタク同士で交流にしろ、世の中と繋がろうと思ったとき昔はブログを登録したり自作サイトを作ったのが、今はXやBlue SkyにYouTubeだもん。noteもあるけど、感情や思考の整理というよりノウハウの拡散に使ってる人が多い気がします。文章で自分の感情や思考を伝えて誰かと交流しようという人口が減って来てるんじゃないですかね。悔しいけど長い文章なんて誰も読まない、美しい画像・映像に心地いい音楽で人々の情緒は酌み交わされている。
でもそれって決して退化してるとか劣ってるというわけでもないと私思ってて。なんていうか、明確に言語化されてしまった感情や思考に共感するのって相当勇気がいるから、曖昧にぼやけた解像度の低い感情にふんわりと共感を示して敵意はありませんよと毛繕いをしあうのが現代の社会性動物的コミュニケーションとして取って代わっただけなんじゃないかなって。明確に言語化された感情や思考に共感を示すことの怖いのは、下手に味方だと思われて変な連中に頭数として数えられたり、「きのこの山が好きということはたけのこの里が嫌いってことですよねェ!?」みたいなたけのこ愛の激しい人を刺激して望まぬ敵対をしてしまうところにあると思う。人は動物なんですが、動物って粗暴なようでいて実は争いを好まない。縄張りや伴侶を獲得するときだけ...即ち生きるため必要に迫られてしている。それは無駄にエネルギーを使ったり負傷するリスクを避けるため。人間も同じで、目的もなく争うよりふんわりと共感しあって味方を作り、少しずつ木の実や綿なんかを分けてもらう方が豊かに穏やかに暮らせて得だと判断する人が増えたのだと思う。
これに関して反対派もいるけど、私はうれしい。そもそも、私たち世代の人間はメディアに扇動されすぎたと思う。うまいもん作った食え、今は痩せてないと恥ずかしいよ恋人できないよ綺麗な服が着たかったら痩せろ、痩せるならこのサプリやマシンやジムがいいよ、ハイ痩せたら服を買えSEXをしろ子供が産まれたね家を買いな!...という風に、勝手にデザインされた生き方を恐怖心を利用して押し付けられてるような感覚があったのよね。無視して生きたいところでつが、気になるあの子はメディアの奴隷~みたいな仕方なく大衆的価値観の中でフラッグを獲得するため興味のないレースに挑むジレンマはみんな一度は抱えたことがあると思う。ないか。ないのか?さみしいな...。
とにかく、そう、この文章離れの波はユンヂチさんにも訪れていまして。
あ、そうだ。もう今後どこでも話す機会ないと思うから書いとくんですが、私の度々使うこの「ユンヂチ」という名前は我が故郷沖縄の方言で「閏月」という意味で、「ある年とない年があって、いるかいないのかハッキリしない幽霊みたいなヤツ」「余りもの」というニュアンスで名乗っているよ。どうでもいいね。
...えーっとそれで、とにかく今は文章書くのにもかなりエネルギーを使うようになったから感想かけてないんだけどホントは書きたいよ~ってことが言いたかった。前置きが長ェ!
さて、冗長で馬鹿みたいな前置きによって大分段落は下げられたかな?話したかった本題なんですけど、今年の10月頃から中途覚醒が常態化してて悩んでるんですよね。というかもはや中途覚醒じゃなくて単に早起きなんじゃねって気もするけど。
このところほぼ毎日午前4時~5時に起きるんです。アラームもかけてないのに。しかも就寝時間は関係ないようで、よほど3時まで起きてましたとかじゃない限りピッタリこの時間帯に起きる。午前0時に寝ても。それで何が困るかって、私は元々ロングスリーパーで8時間寝るのが一番高パフォーマンスを出せるのに、この癖のせいで午前中使い物にならないし昼寝しないと午後はゴミレベルになってしまうんです。あとシンプルに二度寝率が上がる故に何回も遅刻しそうになった...!
それでね、睡眠薬変えるなりシーパップ検討するなりしてもいいんですけど、もう逆手にとって早寝早起きの習慣を身に着けようかなって。
先日書いたように煙草で調子を崩すし、お酒やカルビやトンカツとかも体にクるようになってきた。もう、私にとっては夜更かしも潮時なのかなって。
私は、ちょくちょく書いてるように特殊な家庭環境で育ったことや幼稚園生の頃からずっとイジメられていて友達がいなかったことからずっと孤独を感じていて、どこにも受け入れてもらえないさみしさを深夜のインターネットに求め、その道すがら次第に酒や煙草にも憧れて手を伸ばした。けど、体がそれを受け付けなくなってしまった。
幸いにも多少人とやんごとない雑談ができるようにもなってきたけど、じゃあ、私がさみしく過ごしたあの9歳の、テレホタイムを待って南条あやの保護室を見に行ったりなつみSTEP!クリア後の掲示板で人の考察を読んだり自分の考察に返信が来てないか張り付いていた時間はなんだったのよ~ッ!!!(;A;)
体がもたないからと、ある時ふいに梯子を外されるには名残惜しすぎるほど、あまりにも長く、深く、私はそこで暮らしたんだ。太陽は嫌いじゃない、朝露で光る木々も少しひんやりとした空気も、子供たちの笑い声もにこやかに談笑する人たちも、みんな私を優しく受け入れてくれる。だけど、夜は?振り返るとそこには、さみしそうにしながらもどこか楽しそうに踊る彼らの姿と音楽が湯屋の煙のように夜明けに漏れ出している。
さようなら、なのか?インターネット。
私はこんなに愛しているのに、私たちはどうしようもなく違う生物みたいで、私が幸せを追うごとに貴方から離れてしまう。
せめて今は、この躊躇いを朝4時の秒針と共に瞼の奥に刻ませて。