本日のロビンはたいそうご機嫌だった。他者に感情を悟らせないタイプの男には珍しい。キースが柄にもなく声をかけて何事があったのかと問いたくなってしまうほどには、だ。
「なんかあったのかよ、占い師」
「おやキースくんこんにちは。昨日ぶりですね」
これである。昨日退勤してから翌朝、つまり今まで会っていないのは当然で、同じ場所で働いているのだから新鮮な事象ではない。なのに如何にもレアケースだと言った態度で昨日ぶり、などと言われる。いつにも増してにこにこと。どう考えたってご機嫌なのだ、この男は。
「僕、なにかあったように見えます?」
「これでなんもなかったら……そうだな、それが素面なら逆に怖ぇ」
「そんなにですか……」
ハの字に下げて見せる眉も、きっと本当は困ってなんかいないのだろう。わざとらしい同僚だ。別に親密なわけでもないが話しかけづらいわけでもない、一線引いた向こうにいる人間。キースとロビンはそういった関係だった。少なくとも前者はそう思っている。
例えばディノ相手のようなくだらない馬鹿の言い合いはしないし、遠慮ない小言に対してこちらも気遣いなくはいはいと返す、そんなブラッドとの関係とも遠い。そう、遠いのだ。好き嫌い、何に興味があって何に嫌悪するのかも分からない。
「まあ、良いことあったんなら問題ねえよ。やなことよりよっぽどいい」
根掘り葉掘り尋ねられるのも不愉快かもしれないし、二人はその間柄ではない。キースはそれ以上を詮索しなかった。ただ、近くの人間が楽しそうにしているのは決して悪い気分ではないのだ。だから自然と、口角が上がる。そしてロビンは同僚の柔らかな反応を見逃さぬ観察眼を持っていた。
「……可愛がっている子がいて。昨日、門出の日だったんです。僕、有休をもらっていたでしょう?」
「あ?お、おぉ有休な……お前にしては珍しいと思ってた。いつも余らせまくってるから」
「どうしても一緒にいたくて。その子も僕と行きたがって……でも仕事忙しいでしょう?って遠慮がちにするものだから、ちょうど休みなんですって嘘つきました」
可愛がっている子。どうしても一緒にいたくて。
趣味の占いでも包み隠さず真実を伝えることに定評のある男が、ちゃちな嘘をついてまで共に過ごしたかった存在がいるのか。キースは目を丸くして驚いた。そんな気配をこれまで微塵も見せなかったロビンが、急にただの一人の人間らしく見えたのだ。
「……門出の日か。そんならめでてぇな。次の日になってもまだ浮かれてるのも当然だわ」
「……そう言われるとちょっと恥ずかしいですね……ふふ。でも、ありがとうございます」
ロビンの、宝物を想うような微笑みを初めて目にした。自分が見てもよかったのか、と動揺してしまうくらいには優しく、慈愛に満ちた表情で。
「その子も幸せ者だな」
キースは思わずそう漏らした。
昨日はアカデミーの入学式だったのだ。ヒーローに憧れるセイジは、授業が始まってから学ぶような基礎を自主的に勉強するほど真面目で一生懸命で、だから誰でも入れる学校とはいえ、入学をとても嬉しがっていた。保護者として自分が参加するのは多少なりとも目立つことで、ヒーローの後ろ楯がある、なんて噂をされるかもしれないという心配がロビンにはあった。幸いそこまで名の知れたヒーローではないから、周りにざわつかれることもなかったが。制服姿でさえしなければ、ロビンはまだ一般人に毛が生えた程度の認知度であった。
「来週から授業が始まりますね。セイジ」
正直、寂しい。今隣でこうして寄り添い過ごしているのが当たり前ではなくなる。子離れ出来ない親みたいな感情にロビンは苦笑した。セイジもまた寂しいのか、きゅっとロビンの袖を摘まむ。
「望んで入るアカデミーなのに、先生と離れるのが寂しいなんて言ったら、わがままですよね……」
セイジの体温がロビンの半身を温めていく。愛しい日々だ。けれど箱庭に閉じ込めたくはない。それが初めは植えつけられた夢でも、もう今は立派なセイジの夢だ。憧れのヒーローになって、キラキラと輝いていてほしい。
喉をかきむしるような切望ではない、明日を信じて生きていたい夢を、ロビンもまたこの歳になってようやく持つことが出来た。セイジの夢に自らも添わせてほしくて、だから少しずつ手を離していく。掴まり立ちの子供が、いつか一人でも歩いていけるように。
「セイジは、幸せなのだそうですよ」
「え?」
「キース・マックスくんと言う僕の同僚がね、言ってました」
「き、キース・マックスがですか……!?わあ……!」
食い付きがすごい。やはりミラクルトリオの一人は認知度が違う。ほんの少し現れた柄にもないやきもちはロビン自身の奥へ奥へと隠しておいた。
「キースさん、分かってる……流石同僚……そう、僕って幸せ者なんです!先生に出会えて、面倒を見てもらえて……入学式にまで来てもらえて……ふふ、幸せ……こんなに幸せでいいのかな」
「君はもっと、もっと幸せになるんですよ」
セイジの未来が開けていくのを近くで見守ることが出来る。僕の方がよほど幸せ者だ。なんてロビンは微笑んだ。
「セイジ。入学おめでとうございます。君を待っています。エリオスで」