うちの母は私の話をよく聞いてくれる。特にオタクごとの話を。
母は聞き上手である。素直な性格なので、私のようにひねた見方でムカつく返しをしたりしない。そして興味を持って聞いてくれる。私は人の話にあまり興味がないため、相槌は打つが相槌を打つことだけを考えていたりする。最悪である。
そして何より、母は本気で興味がなかったり、他のことがしたいときは驚くくらい話を聞かなくなる。目に見えて分かるくらい人の話を聞いていないので、すごすごと引き下がる。これを他の家族や他人にやられると心の傷になるが、母は本当にそういう人なので、気にならない。もう喋んのやめるか~とすっと思えてやめられる。
また、母は私と違い素直で柔軟なので、人のすすめを聞き入れる。たとえば漫画をおすすめしたらちゃんと読んでくれる。その流れで母はハイキュー!!も読んでくれて、春高の最後の試合で大号泣をし、涙もろいとはいえあまり見ないほどに泣き崩れる母の泣き声を部屋のドアの壁越しに聞いて、きっと、誰か知り合いが死んだんだ……と訃報を思った。違った。烏野が負けたのだった。
私はハイキューの話をすると、怖いぐらい喋る。といっても、周りにハイキューを読んでいる人間が母しかいないため、母としか喋っていないが、語り合うというより勝手に一人で喋る。喋りが止まらないので、ハイキューの話をするとき、酸欠になって死にそうになる。オタクの喋りは、非オタクの時間だけではなく、オタク本人の酸素すら奪う。
2022年のハイキュー10周年イヤー記念で、全45巻の名場面を81分9秒間紹介し続ける動画がジャンプチャンネルからアップされた。私はこれを見ながらも、いちいち、時に動画を止めつつ、めちゃくちゃ好きなシーンを解説したり台詞をハモったりして喋り続け、何度も酸欠に見舞われ横スクロールの画面に目がやられて酔ったりしている。
それでも、お喋りクソオタクは喋るのを止められないため、ハイキューの話が常にしたい。本当に、いやになったり、もう話すことがないよ~!などと言うくらいまでしてみたい。
しかしながら、私はハイキューに対しては、何故か他者との共感よりも、好きな部分をただとにかく喋り続けたい、が先鋭化され続けたので、ハイキュー仲間を特に欲していない。多分、自分の中のここが好き、があまりにデカすぎるからだ。それだけで十分だし、ハイキューに対して私は解き明かしたい謎をほとんど持たない。だから困る。なんかもう一人ハイキューマガジンとか、ハイキューラジオとかするしかない気がする。この有り余るパッションの発散には。
ハイキューはお陰で、こんなに好きなのに二次創作にもほぼ興味がない。私が好きなハイキューが、ただ私のハイキューの全て過ぎる。書いていて怖い。他者の二次創作への興味も薄く、加えて、自分の行う二次創作活動にも興味がわかない。古舘春一先生が描いたハイキューが本当に全てだから。自分の想像の羽ばたきはそこにない。残念なのかなんなのかわからないが。ただ、日向翔陽さんへのポエムはしたためたことがある。女子中学生みたいでしょ。今度本の一編に入れるので、どれがそれなのか見つけてみてください。
逆に、ワールドトリガーは人とめちゃくちゃお喋りがしたい作品だ。だが、ハイキュー以上に読んでいる人が少なく、かつ、オタクのお喋りをするには知識量でつけ放しすぎてしまいそうでこわい。ワートリには、BBFというファンブックが出ているのだが、元々膨大な情報量の本編の、五倍以上の本編補足情報が緻密に詰め込まれており、ワートリのオタクであるワ民(とよく呼ばれたり呼び合っている)たちは何度も何度もこの本を開いては読み続けている。理由は、本編を読んでいると、必要に駆られるためである。ので、多分ワ民と話してると何それ知らんみたいなこと話してきそうじゃない?私もしそうで……。BBFだけじゃなく、コミックスのおまけページとかカバー下とかもさあ……。だがむしろ、玄人のワ民なら私のほうが余裕で置いていかれるだろう。それは体験したい。ぜひに。ずっと喋っていてほしい。ワ民に。
呪術廻戦は、独りよがりになりたくも、仲良くお喋りもしたくない。人の意見が、とにかく聞きたくなる作品だ。一人で抱えきれないから。どう思った?ねえ、アレ、どう思った??????と、人にマイクを向けて感じたことを聞いて回りたい。私が呪術廻戦で自ら話したいことは、五条悟という人間の孤独な生き方とそれと真反対の意外なほどの純粋さ、それから虎杖悠仁の主人公像についてだけ。
オタクひと息!二千字!これだけ書いてしまえるんだから、喋っててもやかましくて酸欠になるのもむべなるかな。