外国語が読める

tsuitachi
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公開:2025/5/29

コロナ禍に入り、ずっと続けていることが二つだけある。語学とラジオ録音だ。今回は前者の話にだけ触れる。

もともと小学生の頃から大学まで英会話教室に通っていたり、大学のゆるゆる活動でドイツ語勉強会をやっていたり、ロシア語をテレビ番組で学んだりしていた。しかしどれもがゆるいため、語学自体は好きでも具体的な目標が皆無な自分は、できるという自信も、続けているぞ!という喜びも本当に何もなかった。そしてしばらく、そこからかなりのインターバルも空いてしまった。

しかし、コロナでの引きこもり時期から家の時間を使い尽くすぜ!の気持ちでいろいろやり始め、その中の再びの語学は今までずっと続いている。もちろん、中身の充実度でいえばムラがありまくるのだが、それでもずっとやってきた。そのおかげか、一番メインに据えて長くやってきた韓国語学習が、今かなり芽吹いている気がする。

他言語に触れる機会といえば、映画や小説、音楽やアイドルなどいろいろあるだろうが、物語コンテンツは大好きなためいろんな国のものを見てはいるが邦訳されたものを摂取するばかりだし、海外コンテンツそのものにハマる才能がまるでないため、そういったブーストがかけられないことも永遠にゆるゆるとした語学でしかない理由でもあった。とにかく目標がない。言語の勉強が楽しいから&もう惰性で!の気持ちばかりで邁進していた。

しかしながら自分は二次創作のオタクをやっているため、海外の描き手を見ることが割とある。特に海外でも人気の作品にハマると、海外のファンダムとの距離はぐっと近くなる。そのおかげで、毎日韓国語と中国語をSNSでかなり見かけるようになった。

それは、学ぶ前までなら、異国の言葉だ、と少したじろぐ気持ちもあったが、今はもうそこそこ目になじんでいる。韓国語の簡単で短い文章ならば、視線をなぞれば読めるものもある。一語一語解読すれば、なんとか読めたり、大意はとれたりする。添付される写真や文脈を頼りにこの単語は…アレかな?と推理したりもする。

そう、まったく読めないしわからない異国の表音文字が、自ら向き合い、音を読めるだけでなくその先の意味を理解することもそこそこかなう言語になったのだった。

あ、意味が分かる。こういうことを書いていたんだ。わ、すっと読めた。知ってる単語と平易な文章だからだけど。でも、だけど、読めた!己の脳の力だけで!日本語じゃないものが!

こういう瞬間を得るために語学をやっているんだ、と思い、そのたびに胸を熱くさせている。本当に、これは手段じゃなくて、この行為そのものに己の欲するものがあると感じさせられる。

全然知らない言葉だったものが、自力で読めるものになったよ、という事実に、本当に、いちいち感動してしまう。なんなら三度に一度くらいはちょっと泣いている。しかし正直これくらい感動できないと、世間一般で言う、『利用価値のあるスキルとしての語学力』『絶対的に今必要にかられて得なければならない語学力』なんていうものを目指していない人間にとっては、続けるためのニンジンにはできない。もちろん、ただ語学をやっていることも楽しい。他国の文化そのものが詰め込まれ表れているものだから。あと、できないくせに多数の言語を掛け持ちしているおかげでいろんな違いを見出せることも楽しい。

自転車でまっすぐ走れるようになったよ、九九を全部言えるようになったよ。なんだか、そんなことに近い感覚に思えてくる。思い出されるのは小学生くらいの達成時の瞬間だが、ちっぽけだと言いたいわけではない。それくらい新鮮な喜びをもって、できなかったことが今できるようになっている瞬間の感動に震えているのだ。

感動が出る瞬間のレベルがごっつい低い…という話になるのかもしれない。けれど、こんなにも素敵な感覚を忘れたくない。どうか永遠に続いてほしいと思う。できるようになった、という己のささやかな進化へ対しての喜びを、ずっと嚙み締められる自分でいたい。こんなにどこか重い気持ちでいるのに、まあゆるゆる語学でいることも永遠なんだろうと思う。変なバランスで生きている。

なにはともあれ、語学って……楽しい!目標はなんにもない!

@tsuitachi
いきてますよってれんらくです