おいしいものを人間は好きだろうと思う。私も好きだ。おいしいもののことを考えて幸せになることもある。食べて幸せだなあと思うこともある。でも、別においしいもののためにそんなにがんばれない。私はそもそも大抵のことをがんばりたいと思えない。食事もしかり。
お腹が人よりすかないということや、食べられる総量が少ないということ、胃の健康がいまいち維持できていないということ。己の身体の条件もあまり良くはない。あと、飯に時間と金をかけるなら他にかけたい。飯に時間削られるのマジでいや。ていうか飯の時間で一日が左右されてるのもまあまあ困る。過ごしやすい部分もあるが、飯の時間、じゃま〜〜!!!!!と苛々することもある。あと飯は、豪華なものを食べるより、バランスとカロリー数が一番大事な軸だ。腹の減り具合を見ながら、カロリーと栄養と価格のコスパを考えて飯を選ぶこともままある。
そんな感じで、娯楽の面もあるが、大いに食物摂取の行為でしかないと捉えている面もある。本当に元気がないとき、元気がないから体調を崩すかも…という恐れのため、体調を崩さないためだけの食事デッキを組み、無の気持ちで飯を流し込んだりもする。それ12月東京行ったときの晩飯のコンビニご飯デッキだよ。
インターネットを見ていると、いかなるときもごきげんでご飯を食べている感じの人などを見かけることがある。インターネットで見えるすべてが真実なわけもないけれど、「だいたいいつも」「たのしそうに」ご飯を食べている人の様を見ると、そこに人類の希望を見出してしまう。健康とは…このこと!と勝手に笑顔になる。いつも元気に飯が食えていない人間からすると、生きる才能に満ちあふれていてまぶしい。いつでも食える、いつでも寝れる、はいきもの向きです!どっちもない!生きるの向いてない!
料理が好きで食べるのが好き、というのが最強コンボだろうが、多分世の中的には料理はそんなに好きでもないが、食べるのは好き、という人が一番多そうだ。私はどちらもいやではないし楽しさも見出だせるけど、どちらも割とどうでもいい枠に収めることもできる。
好きなもの食べてたら嬉しいし楽しいけど、たくさんは食べられないから苦しむことがとにかく多い。私は小5のときの林間学校で晩ごはんにおでんを食べたのだが、めっちゃ量が多かった。無理だ残そうと思っていたら一人分の量の内訳が何故か耳に入り、死ぬほど無理をしてその分を残さず食べた。本当に苦しかった。泣きながら食べた。今でも、その林間学校でおでんを死にものぐるいで食べたことはよく覚えている。それしかほぼ覚えていない。私は外食でご飯を残すのが本当にいやなのである。本当に。多分普通にご飯を残す人と外食したら一生その人とご飯食べないと思う。家のご飯は明日に回すこともできるが、外食は包んで持ち帰られるもの以外は廃棄される。私が頼んで提供してもらったものを私が無駄にするのは無理。量を食べられないのに、残すのはいや。なので、めちゃくちゃのめちゃくちゃに食えるか食えないか、を考えてから頼む。それを誤ると吐きそうになりながら食べる未来へまっしぐらだからね。そんなになるまでなら残せよって思うと思うけどいやだね。絶対残したくない信念を守るために吐きそうになりながら食べるのだって私の自由でしょ。店では…吐きませんよ…。ていうか生理痛と食中毒以外では吐いたことないよ。吐き気と実際に吐くのはかなり隔たりがあるってお医者さんも仰ってます。まあそんなわけで、ご飯と私は、残さず済むか否か、のシビアな戦いの場なのである。さすがにこんだけ生きてたら、通常レベルの体調であれば吐きそうになるほどまでにはあまりならないが、それは店側の料理の量にもよる。行き慣れたところなら量はまあわかりやすいし、小盛りとかできる店もありがたい。本当に。
あと、最近は若干落ち着いてきたが、ご飯を食べるとほぼ必ず動悸がして手先足先とともに脳みそがすっと冷たくなる状態が2時間続く、みたいなことがあった。普通に作業効率が落ちますよね。あと、動悸は本当に地味に辛くて無言になりがちなので、人とご飯食べるのに向いてない人材です。あと胃が悪いときは吐き気感じながら食べてる。よえ〜胃なので、生玉ねぎは水にさらしてないと本当に胃が終わる。
料理は生み出す行為としてもっと楽しめられればはまりもしそうだなと思うけど、私にとっては、栄養バランス的に見て組み立てることと、何より、冷蔵庫の中身を片付けるためにパズルのように食材を組み合わせて献立を決めることに一番のやりがいを見出しているため、味とか二の次である。片付けの行為が、料理である。私は片付けが好きなので、そういう意味で楽しんでいる。ただ、皿洗いはマジできらいなので、皿洗いは本当にやりたくない。買い物は好き。おつとめ品でなんか作れないかなとか考えるのが好き。
飯が食いたいから作る、ならまだ張り合いがありそうだけど、そもそも飯のことが割とどうでもいいため、料理もどうでもよくなる。料理ですらなく、店にご飯を買いに行ったときでさえ、何が食べたいのかが分からない、という理由で特に食べるもののない家に何も買わずに手ぶらで帰ったりもする。(そして本当に何も食べない)それくらいどうでもいいかんじのときもある。大学生のときは左手にパックから出したハム、右手にむしったレタスを持ってそれをかじることで昼食にしていたりした。とにかくご飯のためにがんばりたくなんかないのである。
そういう終わりレベルのときもある人間なので、常から元気にご飯を求む人たちが本当にまぶしい。スゲー。生気と活力を感じる。飯を作ること、飯を食うということに。みんなはどうかちゃんと飯食ってちゃんと人らしく生きてください。