真面目な話をする度、私の心にそっと寄り添ってくれているような感覚になって安心する。温かい気持ちになる。それを例えるならベンチに座ってる2人の片方ががそっと身体を預けるような感覚。あれドラマチックでいいよね。
「やりたい事と苦手な事がくっ付いてるから、無理に克服しなくてもいいんだよ」
そう、あなたは言った。言ってることは分かるし、それに対して否定的な意見でもないけど、ただ私は「誰かを救う」という行為がしたいだけで。間接的に「救われました」って言われるより、直接顔も名前も知ってる人に「救われました」って言われた方が私は嬉しい。
「話せないのが理由でやれる事の選択肢を狭めたくない」
母親が居ない空間で私は弟にそう言ったけれど、「おぉ、なんかすごいね」と言われた。中学生の時に比べたら断然話せるようになってるし、あの時抱いてた「理想」に近づいてるから、きっと目指してた職種もいけると思っていた。(関係ないけど、話せない子が時が経って話せるようになったっていう観点でキリエに共感した)でも精神面とか人間関係とかそういうことを客観的に見れているのは自分じゃなくて一番近くにいた母親で。自分を知るには自分だけじゃなくて第三者の意見や写ってる姿を知らなければならない。それが嫌だって訳でもなく、上手く言葉に出来ないけど、そういう観点で言えば「自分の事は自分がいちばんよく知ってる」っていう言葉は嘘なんじゃないかなって思う。それは内面的な話か。よく分からないけど。
最近出会った人に「障がい者の方を支援する就労支援関係の仕事に就きたいんですよ」と言ってしまったことをふと思い出す。そこに後悔はないけれど、その人は「へぇ、いいね。すごいじゃん」って言ってくれた。(その後も聞いてくれたような気がするけどあまり覚えてない)その時、なんだか認められたような気がして、少し嬉しかった。
なんだろう、結局何が書きたかったんだろう。昨日の出来事で寝て起きて眠気覚ましで書いて&思いつくままスマホを打ってるから支離滅裂かもしれない。MBTI診断で「理想が高い」がひとつにあったけど、こういうところに出てるんだろうな。