彼女が私に「あなただけは私の味方でいてね」と言ったことを。その言葉が悔しさと寂しさと悲しさで溢れていたことを。
家族を、ひとりの人を、絶望の縁に追いやるようなことをして何が楽しいのだろうか。「家族だから仲良く暮らそう」って言ったのはあなたなのに。自ら壊していることに気付かないのはどうしてだろうか。
私たち家族はB型とO型で形成されていて、O型が絶望の縁に追いやられるように作られているのなら、次は紛れもなく私の番で。お金を一番使ったのはあなただとか、そんなこと知らない。子どもはそういうものだろう。私達を身ごもった時、そこに存在する義務は私達を自立させることで。その中の一つにどれだけお金が掛かってもいいもあったんじゃないだろうか。なのにそれを、子どもは生まれた瞬間から色んなものを与えなきゃいけないはずなのに「一番お金を使わせたのはあなただ」とか、あまりにもおかしいだろう。それを承知を上で私達を産んでくれたはずなのに、そこに見返りが存在するのはどうしてだろう。
「ね、ほら先生。やっぱり会話が成立していないでしょう?やっぱり向いてないんですよ」
あなたはそれを私の前だけならまだしも、先生の前で言うなんて。家に居るあなたが垣間見れた気がして苦しくなって、でもそんな気持ちを押し殺して「話せないから向いてないんですか?」と聞いた。それにあなたは答えられなくて、代わりに先生が答えてくれた。
ある曲に『酔っ払って言った 調子乗って言った 言葉の責任だけは残る』という歌詞がある。酔っ払って言ったかはこの際置いておいて、どんな場合でも発した言葉に対しての責任は絶対に残る。それが子であってもそうだ。子なら尚更だろう。いつかの手相占いであなたは「子どもを一番に愛してます」と言われていたけれど、私はそれを嘘だと思っている。仮にそうなら私の言葉に耳を傾けてくれるはずだし、彼らを絶望の縁に追いやるようなことはしないと思うから。
あの子を追い続ける彼の事を、彼の家族は知っているのだろうか。もし知っていてあの学校に入学させたのなら、すごく素敵な親御さんだと思う。もし知らなかったとしても、彼の才能を信じてくれた親御さんが羨ましい。比べて私は。彼女のようになりたくて臨床心理士を本気で目指していたのに、あなたには無理だと言われ、それがどれだけ私を苦しめたのか。昨日書いた風呂場で毎晩泣くような苦しみは抱いていないけれど、臨床心理士の夢を否定することは「彼女の事を忘れろ」と言うような同等の事を言っていて。だから実際、彼女の事はあの瞬間まで本当に忘れていたし、もしかしたら無意識下で抑え込んでいたのかもしれない。
彼女に縋り付く理由。それは私を救ってくれた、それだけだ。あの時、いや、あなたに相談する度、寄り添いながらもどこか突き放しているようなそんな感覚があった。あなたはそんなつもりじゃなかったかもしれないけど。だから私はずっと「解ったフリをして解らない奴が一番嫌い」だ。それはたとえ家族でも関係ない。たまにはムチも大事だけれど、あなたはあなたの固定概念だけで私の夢を、彼女を想う気持ちを否定した、そこに愛は存在するのだろうか。
MBTI診断が当たっているとするならば、私が向いている職業は心理カウンセラーらしい。私が3回診断して出た性格結果は、人の心に寄り添えることを得意とするらしい。実際、私は人を救いたいって思っているし、救った後に何か見返りがある訳でもない。ただ救ったその人が笑顔で「ありがとう」って言って貰えるのなら、もうそれだけで充分だ。でもあなたはそれをひとつの結果だと決めつけて、診断結果を否定するのだろう。小さくなっていた私だけれど、彼らは世界に大きな影響を与えた人達というのを見て、少し救われた。こんな私でも誰かに影響を与えることが出来るのだろうか、と。でもそれすらあなたは否定するんだろう。だから私は彼らをあなたよりもずっと信頼している。なんて言ったらあなたはどんな顔をするのだろう。