付き合い始めた時、彼は私の事が好きなんだと思っていた。当時、「付き合う」というものがどういうものか分かっていなかったけど、でも漠然と行為することが彼氏・彼女のあるべき姿だと思っていた。いや、そういうものだと信じていた。でも付き合ってから半年が経った頃に彼が仕掛けた罠に引っかかっていたことに気が付いて、母親に話して、会うのは辞めた方がいいと言われて、別れようと告げることが出来ずにズルズルと引き摺って、付き合ってちょうど11ヶ月の時に私から別れを告げた。それが高校二年生の秋の話。
私は彼から全部「初めて」を奪われた。敢えて目に見える文字にしないけど、彼は確かに私に「トラウマ」を植え付けて行った。彼が私に残したものはそれしかない。彼と別れる前、まだ家にお邪魔していた時、ふと思ったことがある。「この体験を次出来るであろう彼氏に伝えなきゃいけないんだ」と。それが苦しかった。何一つ気持ちいい事なんてなかった。痛いし、苦しいし、残るのはマイナスな事ばかり。それを家族の次に大切な人に伝えなきゃいけないなんて、そんな勇気はなかった。それは今でも無い。だからあの時、私は泣いたんだろう。「痛かった?」って訊ねた彼に私は肯定を意味する頷きで答えたけど、痛くないわけない。心も身体も、両方痛かったんだよ。あなたはそれを知らないでしょ。平気な顔して、思ってもない愛の言葉を囁いて今も過ごしてるんでしょう?罪な男だね。私はもう二度とあなたに会いたくないよ。
ある人が出逢いには順番があると言っていた。もし彼女との出会いが始まりとしたら、私の人生はそこから始まっている。人に寄り添う心を教えてくれたのは彼女で、どういう人が嫌いなのかという恋愛観を教えてくれたのは元彼で、信頼できる人が居るんだと教えてくれたのは彼だった。だからこの先も、想像が出来ないくらいの人と感情に出逢って、私を知っていくんだと思う。別に今まで生きてきて転機となったのは彼らに出逢った時だけど、確かに私を知ったのはこの時々だった。
ちゃんと人を愛したい。多分それはずっと思っていること。だから騙されたにしろ、それまではちゃんと行為も愛があるから出来るものだと思って疑わなかった。騙されたと分かった時、初めて他人に対して怒りが湧いた。数年経って怒りが湧かない人は人に興味が無い人っていうのを知って遠目に「私は人に興味が無いのか」って思っていたけど、多分それは友人・知人に限った話で、恋人や家族になれば話が別。心を開いている分、得られるものも失うものも両方ある。だからちゃんと目の前にいる、家族じゃない、親友でもない「愛する」という行為が許される「恋人」という唯一の存在を愛したい。好きだよとか、そういう言葉を伝えるのは苦手だけど、「好き?」って訊かれてうんって頷いた時「俺も」って言って頭を優しく撫でられるような、それでハグされるような、温かいもの。恋なんて分からないけど、ありのままの私を愛してくれる人と今度は付き合いたい。苦しいこともあるだろうけど、言いたいことは言って互いを想い合うような、そんな恋をしたい。
別に特別な意味はないけど、彼氏って言うより恋人っていう表現の方が好き。