21歳

みなと
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2分の1成人式が行われた小学四年生の時、漠然と20歳になった自分の姿を浮かべた。10歳から見た10年後の姿、20歳になった自分はきっと今より色んなことができるようになっているんだろうと思った。具体的にあげることはできない(理由:覚えてないから)けど、大人になってると思っていた。

この前、自分の年齢を言う機会があった。それは些細な理由で、ただ尋ねられたから答えただけだったけれど、「21です」と答えた時、少し違和感を覚えた。その時にその違和感の正体を見つけることは出来なかったけど不意に冒頭で書いた2分の1成人式のことを思い出した。「10歳の時の私は10年後の自分の姿をこんなふうに想像してただろうか」と思った。それはもちろんマイナスな意味で。

ある人は「小学生や中学生の時より、歳を重ねるにつれて話せるようになってきた」と言う。また違うある人は「思いやりのある優しい人だ」と言う。周りにいる人もみんないい人で、ちゃんと私の良い所も悪い所も知っている。それを教えてくれる。だから自分自身でも客観的に自分を知ることが出来るけれど、私はそんなふうには思えない。私はもっとちゃんと周りの人と同じように楽しそうに話せるようになりたいし、それが楽しいと思うから。少しでもズレている自分が本当に心の底から嫌いなのだ。

この前、ある人と久しぶりに会う約束をして、その後すぐに家に帰らせるのも悪いからとあてもなく街を2人で歩いた。「左に行けば○○、右に行けば○○があるけど、どっちに行く?」「映画館とカラオケ、どっちがいい?」その人のことはずっと信頼してたし、会うのも楽しみにしてたのに、久しぶりに会ったせいかYes,Noで答えられる質問でさえ上手く返すことが出来なかった。人見知りあるあるで「一定期間会わないと初対面同様の反応に戻ってしまう」というものがあって、まさか信頼している人の前でも症状(と言うと大袈裟だけれど)が出てくるのかと思うと悔しかった。ちゃんと話したかったのに、話す話題もあるのに行動に移せない自分に嫌気がさした。

10年後の私はもっと人と話せるようになっている。多分、そんな事を2分の1成人式の時に思っていたはずだ。でも実際は、小学生・中学生時代に比べれば話せるようになっているけれど、自分の理想には届いていない。心開いている人も本当に数人だけだし、人生それだけじゃないけど、どうしても理想に届かない自分が嫌いなのだ。ちゃんと10年後の自分は大人になっていると思ったのに、思う以上に私はまだ幼い。年齢の割に幼いという人をたまに見かけるけれど、やっと私もその意味がわかった。幼いと思った途端、自分が惨めに見える。大人の定義なんてないけれど、やっぱり追いついたとて悪いことはない。10年後の31歳、私は一体どこで何をしているのだろうか。ちゃんと大人になれているだろうか。