少数派と多数派ってさ

つなまよ
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めちゃめちゃ当たり前のこと言うんですけど。少数派か多数派って、基準とするテーマによって同じ人間でも両方に所属するわけじゃないですか。しかもこの世には現実的な数字が存在してるので、己の思想次第で少数派だったけどやっぱ多数派にいこうかな、っていうのができないものがいくらでもありますよね。“派”っていう漢字がちょっとわかりにくいというか、「本人の意思」が含まれてるニュアンスを感じ取ることもできるので、ここは派じゃなくて側で代用しようかな。例えば私でいうと、性自認は体と一致してるので多数側、血液型はABなので少数側、第一言語が日本語なのは世界規模で見ると少数側、だけど日本だけで考えると圧倒的多数側です。こう言う感じで、基準を変えるだけで自分がマジョリティになったりマイノリティになったりする。曖昧だなぁ。ありとあらゆる基準で判断して、最終的に「多数側」の数が多ければ多いほど他人と共感できるシチュエーションが多いと思う。共感できる機会が多いだけ自分は間違ってない、普通であるという認識が得られて、安心もできる。でもたったひとつの観点だけで見れば、間違いなく少数側にいることもあるんですけど。認識する機会は少ないよね。逆に、少数側の数が多い人はとにかく他人と共感できる機会が少ない。それが自分は間違っているという誤解につながり生きにくくなる。突然ですが私はアロマンティックってやつで、他人に恋愛感情を持ちません。最近になってこの言葉ができたから人に伝えるのも一言で済んで楽だなと思うけど、学生時代はまったく理解を得られませんでした。特に理解されたいと思ったこともないのだけども、どちらかというと「他人に共感できない自分」を目の当たりにする回数が多かった。私が苦しかったのは「そんな人いないよ。まだその相手に出会ってないだけだよ。」という他人の言葉より、自分に共感力がないという事実(恋愛というコンテンツにおいては)の方がだるかった正直。だって他人の言葉は、そう言いたくなるのもわかるし。まだ出会ってないだけなんて、絶対的に否定できないですよね。私自身はあり得ないだろうと思ってるけどそれは自分の感情だからであって、未来のことは本人含めて誰もわからないわけです。もし天地がひっくり返って将来的に恋愛をすることがあったら、自分が幸せならそれもいいなって思うし。それだけで多数側に入れるので、なんならその方がいいよねぇ。でもそうじゃないんです、今の私は。マイノリティという単語が時折LGBTQの代名詞になってることにも違和感があるかな。他者と恋愛をする時点で圧倒的多数派に見える。私からすると。でも世間の基準はソコじゃないんだろうな。少なすぎて見えないと言うか。個人的には見てほしいと思ってはないのでそれはそれで全然構わないのですが。

あと恋愛以外にも、私は苦手なものが多い。子供も動物も植物も花も旅行もプレゼントを貰うことも全部好きじゃないです。特に理由があるわけじゃないから自分では「私はそういう人間だ」で全然納得してるし引け目を感じたこともないけど。単純に「一般的にソレを好きな人が多いから、自分が好きじゃないと自覚する機会」が多いだけの話なんですよね。まだ出会ったことのない未知の対象に対してはさ、好きか嫌いかなんてわからないわけじゃないですか。最初に「苦手なものが多い」と言ったけど、あくまで「自分が知っている世界の範囲」の話です。だから地球規模で考えると、もしかすると苦手なものより断然好きなものの方が多いのかもしれないね。まぁそれはさておき。私の中で、「好きじゃない」はイコール「興味がない」で、要は子供も動物も目の前にいたら親切にするけど、これといってなんの感情も湧かない。って話なんだけど、こういうさ「プラスの感情を持つこと」が一般的な対象って、本来数値化するなら「好き=1」「興味ない(好きでも嫌いでもない)=0」「嫌い=-1」となるはずが、「好き=0」になるんだよね。そんな感じがする。なので興味がない、が-1になる。嫌いになると-2。この数値は別に点数とか他人の評価のことじゃなくて、あくまでこういう印象受けるなっていう話です。わかりにくいな。で、この「興味ない」もしくは「嫌い」にあてはまる人は少数派なりに割といると思う。問題は、自分が少数派であると自覚しつつ、かつ生きづらさを感じなく生きるにはどうしたらいいかな?っていうところ。結論から言うと私は生きづらさを感じてないです。自分と世間のズレって誰でも大なり小なりあるもので、そのズレを認めて対応すれば、全然生きにくくない。少数派なのに、多数派に共感や理解を期待するから生きにくい。現実を認めよう。自分は少数派で、共感も理解もされにくい性質を持ってるということ。逆に私は「子供大好き!」という友人には共感してあげられないんだから、同じことだ。だってどんなに素晴らしさを説かれても、「素晴らしいことは知ってる」うえで、私は興味が無い。だからといって、それを目の前の相手にぶつけるのは違う。大事なのは共感じゃなく尊重だし、〇〇が好きだという人の目の前で「私は嫌いだな」というのは無礼です。ここがわからないと、やっぱりずっと生きにくいと思う。人間関係において、相手の感情よりも自分の主張を優先してる時点で人付き合い下手だな〜〜という印象を持つかな、私は。別に嫌いなことなんていくらでもあるよあなた以外のみんなも。でも否定って強いマイナス感情を引き出しやすいから、楽しい方がいい場面というか、友人関係程度の会話であれば否定は避けた方がいいと思う。でも〇〇が嫌いなのはあなた自身の揺るぎない事実なわけだから、それはそれで大切にしたらいい。誰にも共感も理解もされなくたって私は私でしかないので、そこがブレることってないと思う。いわゆる自己肯定感ってやつですね。無闇に自分を持ち上げることじゃなくて、己の長所や短所や性質を把握したうえで自分を理性的にコントロールできる状態。これが出来てる人ってそれが当たり前すぎて、自己肯定感っていう言葉自体ピンとこなさそう。どうなんだろうな。

今日の夕飯はもつ鍋です。やったー!