道徳

鶴機 亀輔
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学校の勉強が好きでした。だって必ず答えがあるものだから。

私の世代では学校の勉強は間違っていれば✕がつき、当たっていれば◯をもらえる◯✕問題でした。

国語の読解問題も本文を引用しつつ書いてあることをなぞらえば◯がもらえる。苦手な算数だって計算式を覚えていて計算ミスを起こさずに数字の書き間違いをしなければ、100点だって出せる。

学校を休まずに授業でノートを書きながら決まった答えを発言し、テストで良い点数を出せば、成績表の評価は良くなる。

だけど、最後まで好きになれなかった…むしろ大嫌いだった授業が一つだけあります。道徳です。

他の学校や世代の方がどんな授業を受けていたかは知りません。中には一番面白かった、すてきな授業だったという方や好きな授業だったという方もいると思います。

ただ当時子供だった私にとって、あの授業は地獄でした。

先生やクラスメートの顔色をうかがって発言したり、作文を書かなきゃいけない。自分を嘘で塗り固めなきゃ爪弾きにされる。

生きるか、死ぬか。究極の二択を迫られる戦場で戦っているような錯覚を覚える時間でした。

当時、総合の時間は自分の好きなことを自由に勉強して学期末にクラスメートに発表するという形式でした。

総合の時間と同じように道徳の授業も、自由に自分の思いを発表する場だと思っていました。

道徳の授業は教科書に載っている小説やエッセイ、本の抜粋文を読む形式がメインで、たまにビデオを見たり、講演会に来た人の意見を生で聴くという方式でした。

そして、自分の思ったことをみんなの目の前で発表する。意見をしゃべったり、書いた文を読み上げる。

子供だった私は私の思ったことをありのままに言ったり、書いた文の内容を口にしました。

それは現在大人である私の視点から見ても、家族以外の人に話をしたり、実物を見せて確認を取ってもらいましたが、日本の法に触れるものではなかったです。

仮に、その意見を実行したとしても自分や誰かが命を落とすものでもなければ、法による裁きを受けなければならない過激な内容でもない。ましてや人を意図的に傷つけるものではなかった。

だけど、その場にいる子供たちや先生、大人たちの目はじつに冷ややかなものでした。

「こいつはみんなと同じことのできない、考えを持てない〈異常者〉だ」と物語っている人々の目線を、身体が芯からさあっと冷えていく感覚を、今でもはっきりと覚えています。

道徳の授業が終わると子供たちから「あいつは目立ちたがり屋」だとせせら笑われたり、やんわりと距離を置かれるのが苦しかった。

後日、先生に呼び出しを食らって「どうしてあんなことを言ったり、書いたりしたの?」と聞かれるのがつらかった。

個性的であれと言いながら、みんなと足並みを揃えろと言われる。その矛盾が許せなくて、わけがわからなくてイライラムカムカしたし、泣き喚きたくなりましたね。

以降、道徳の授業は絶対に一番に発表するのは避けました。

必ず誰かの意見を聞いてからにする。みんなが望むものが何かを摑んでから、それをパッチワークみたいに張り合わせて、自分の思っていることは一切口にしない。

自分にも相手にも「嘘をついていませんよ。これが私の思っていることです」と嘘をつく。

でも上手く嘘をつけない人間の嘘って、ボロが出るんですよね。

ひどいいじめを受けたことはないけど、鼻つまみものにされ、仲間外れにされていました。腫れ物に触れるような扱いを受けていましたね。

面と向かって「さっさと消えろよ」から始まり、「死ね」、「自殺しろよ」とかボイスレコーダーに取っておけば訴えられたのにな…というようなことを言ってくる人もいました。

そんな私にとって芥川龍之介の「蜘蛛の糸」は、まさしく公開処刑でした。

芥川龍之介の作品は大好きですよ。「羅生門」なんか人間は極限まで追い詰められたら、なんでもするもの。性悪説が生々しくリアルに描写されていて、ゾクゾクする。

日常のありふれたワンシーンを切り取ったような「あばばばば」にはクスリと笑っちゃう。

「桃太郎」は既存の「桃太郎」からよくこんなものを考えついたな…と芥川龍之介の文章を書く力に感服します(子供には見せられないし、見せたくないけどね)。

ただ「蜘蛛の糸」をどう思うか、みんなで考えよう! っていう授業は最低最悪だった。

何をしても状況がよくならないことを理解していた私は、反骨精神だけを支えにして思っていることを表明し、書きなぐりました。

案の定授業のあとで「あいつ、頭が狂っているな。きっと、どこかおかしいんだよw」と嘲笑されましたがね。

「道徳の授業をなくせ!」とか「学校をいじめが0になるように革命しろ!」、「教師はもっと子供のことを親身に考えろ!」とか強い言葉を言いたいんじゃありません。

私はそういったことを声を大にして高らかに言うことができるような性格の人間ではないし、良いアイデアが思いついて現実の問題を解決できる地頭の良い人間ではありませんから。

どうしたらいいんだろうと現実の世界に頭を悩ませ、グルグル考え込むだけ。

あの時苦しい思いをした子供の自分がほしかったものを、同じような苦しみを抱えていた人たちがほしいと言っていたものを作ることで、ささやかな意思表明をする。

自分の作ったものが、誰かが一時的にでも逃げ込める、雨宿りをするような場所になってくれたらいいなと思うだけの人間です。

当時子供だった私は、道徳の授業に強い違和感を覚えたという与太話でした。

sasakure.UKさんの「蜘蛛糸モノポリシー」をBGMにしながら、そんな過去の話を思うままに綴らせていただきました!

@tsuruhatakame
プロの小説家を目指してネットコンテストに参加しています。 2025年は公募も参加予定です。 オリジナルBL小説を書くのをメインに息抜きで極稀にイラストを描いています。 こちらのブログは生存報告を兼ねた進捗状況の報告です。 電子書籍の宣伝や執筆した小説の裏話や小ネタ、たまーに描いたイラストを置いてあります。 Webサイト:plus.fm-p.jp/u/sentenman