超人の倒れた家で③そうそうこうしんきょく

つる・るるる
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公開:2024/12/30

12月24日。火曜日。仕事。

ずいぶん長く休んでいたような気がするけれど、実家での時間が濃すぎただけだった。介護休暇について調べつつ先輩に探りを入れるも、やはり入職後一年以上経っていないと取得は難しいようだった。一年経つや否や取得するのも、正直あまりいい空気にならない気はする。テレワークも業務内容的にしようと思えばできるはずだけど、職場の空気的に難しそうな気がする。

ミゲルは叔母と従姉もいるグループLINEに家事日記を投稿し始める。みんなで「えらい!」とか「素晴らしい」みたいなスタンプを送る。室内干しにおすすめの洗剤を聞かれたので、エリエールのジェルボールを勧める。

夫の自炊週間で夕飯は野菜炒めと昨日の豚汁。ご飯を作らなくていいって本当に楽。

夫はいま16連休なので、連休中はこれからも頼めばやってくれそうな雰囲気を醸している。本当にいいタイミングで自炊を提案したものだ。

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12月24日。水曜日。仕事。

従姉に直接話しておきたかったので、仕事終わりにうちに来てもらう。従姉の職場と私の家はわりとさらっと寄れる距離にあって、とても嬉しい。母はピアノを弾くのが大好きだから、ピアノのCDを聴かせたら回復が早まるのではないかと盛り上がる。歩くリハビリよりも先にピアノのリハビリを始めそう。クリスマスプレゼントに買ったコジコジのクッキー缶をめちゃくちゃ気に入ってくれて嬉しい。「見て!この缶のコジコジの浮き出具合!コジコジのサイズ感!最高なんだけど!しかもゴマクッキーなんだって!私ゴマめっちゃハマってるんだよね!」とすべてのセリフにエクスクラメーションマークをつけて興奮を伝えてくれる。

いま一番大変なのは実家のミゲルだという話になり、うまおを連れて年始にでっかい公園で遊ばないかと誘ったら超前のめりで「行く!!!」と言ってくれる。そういうところ本当に好きよ。

ミゲルにその旨LINEすると「あら嬉しい。いつ?」と即答。普段はどれだけ遊びに誘っても「行けたら行く」としか言わない、しかも結局来ないあのミゲルが!!いくらしっかり者の彼とはいえ、さすがに少し疲れているのかもしれない。

夫の作ってくれたシチューを夫と従姉と食べる。とぐろを巻いていないタイプのシチューは優しい味がした。

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12月26日。木曜日。仕事。

母の面会に行ったミゲルから「入院時に比べてよくなってきているものの、症状としては最重症。3ヶ月後に歩ける確率は二分の一とお医者さんに言われた」と連絡がくる。

二分の一の確率なら、母は歩くだろう。

父方の伯母から「いまお母さん大変なの?」とLINEが来る。昨日たまたま伯父から実家に連絡がきたときに、ミゲルが伯父に母が入院している旨を伝えたらしい。本当は母が倒れた時点で連絡したかったものの、余計な心配をかけるなと父に止められていたのだった。

こんな形で伝わるなら連絡しとけばよかったのにと忌々しく思いながら、簡潔に母の様子を伝える。

「50%の確率なら、歩くよね」

当然のように伯母も信じていた。

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12月27日。金曜日。仕事。

朝、叔母から「いいこと思いついた!ピアノの曲を聴かせたら、絶対回復早まるよ!」とLINEが来ている。みんな考えることが同じで笑える。どんな機械を買おうかと叔母が言うので「私はWALKMANで聴いてるよ」と送ると、その日のうちに買ってくれることになった。行動が早すぎる。

とりあえず母のピアノ関係者に母の好きな曲ご存知ですか?とLINEを打ちながら、叔母には最近シューマンの伝記を読んでいたことや、ロシアの曲にハマっていたからラフマニノフやチャイコスキーあたりもいいのではないかと図書館で借りることを勧める。

休憩時間にスマホを開くと叔母はすでにCDを図書館で借り、電気屋を3軒回ってWALKMANとイヤホンを手に入れていた。

CDをWALKMANに入れる作業が難しければうちに寄ってねと送って終業後にスマホを開くと、叔母はもう家の最寄り駅に迫っていた。

いちいち行動が早すぎるんだって。

駅で待ち合わせた叔母と惣菜を買い、家でCDを取り込む。

ミゲルから、母の状態が安定してきたため病室がICUからHCUに移ったと連絡が来る。やはり母は母である。文字盤の読み上げとまばたきで会話ができ、母の所属するいくつかの会にミゲルが母のメッセージを送ったそうだ。

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12月28日。土曜日。仕事納め。

ミゲルと叔母が面会に行く。母はWALKMANを聴く許可が出たそうで、叔母も嬉しそう。

文字盤会話で母が真っ先に「キーパーソンを変えてくれ」と頼んだらしい。いままで私はてっきりミゲルがキーパーソンだと思っていたのだけど、なんと父にしていたらしい。

「父?!?!ヤバくない?ミゲルがいいに決まってんでしょ」と返事をすると、「キーパーソンをミゲルに変えたと伝えたら安心したような顔で何度もまばたきしてたよ」と叔母。どんだけ信用ないんだ、父。いや、私も自分が入院したときにキーパーソンが父だったら絶対に嫌なんだけど。

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12月29日。日曜日。年末年始休暇1日目。

午前中に大学の友だちと宅飲みし、夕方に実家に向かうつもりだった。

ところが朝から生理が来たため私は酒を控え、友だちも釣られてか二人して茶ばかりを飲みしゃべり倒した。

夕方電車が事故で止まっていたため、月曜の朝に帰ることにする。

夫が世にも嬉しそうな顔でほおずりをしてきて、最近実家のことばかりを中心に動いてしまっていたことを反省する。

「最近、私が仕事行ってる間、何してた?」と聞くと「るるちゃんを待っていた」と間髪入れずに返ってくる。そんな、切ない犬みたいなことを言わないでほしい。

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12月30日。月曜日。年末年始休暇2日目。

まともな服を二種類と化粧品、ぬか床の一部とミゲルに勧めたい漫画をリュックに入れ、実家に向かう。

私はつい実家に帰るときにいらない感じの服を着ていってしまう。当然実家のタンスのなかにはいらない感じの服ばかりが詰め込まれており、着てきたものとは別のいらない感じの服を着て東京に帰る羽目になる。

毛玉だらけの、でもあたたかい裏起毛ワンピースとか、「Private(プライベート)」と胸に書かれたトレーナーとかは、あまり病院に着ていかないほうがいいだろう。

駅まで迎えに来てくれたミゲルの車のなかで、今日すべきことを打ち合わせる。

年明けにうまおの職場が数か月〜一年間ほどうまおをグループホームで預かってくれることになったので、入居に必要な着替えやタオル、日用品などを可能な限り揃えること。冷凍庫や戸棚など、手近なところから整理整頓。母の面会で、伝えたいことなどを聞き取ること。

父が自分の職場にうまおを連れ出してくれたため、私たちはすぐに仕事にかかった。私はインド映画のサウンドトラックを流しながら冷凍庫の食品を取り出して、開封済み、賞味期限切れの未開封、賞味期限セーフの未開封に分け、冷凍庫に入れなおした。

途中、冷凍庫の奥からおどろおどろしい赤い塊が出てきてぎょっとする。むき出しの柿だった。刻みネギや霜をまとって、ちょっと妖怪じみた見た目になっていた。

おむすびときゅうりのぬか漬けをミゲルと食べたら、うまおのお泊まり用品も揃えられるだけ揃えて、食材とまな板を買いに業務スーパーと百均へ。父のまな板を使いたくないなんて遅めの反抗期みたいだが、純粋に使いにくいのだ。台所の大きさに対してまな板がかなり大きいから、滑ったり落としたりしそうで怖い。実際父が何度かまな板を滑り落としてびっくりしているのも見た。びっくりするくらいなら買い替えればいいのに。なんだか父が気張れば気張るほど、父に優しくできなくなってゆく。

買いものから帰り、ミゲルと母の面会へ。HCUに移った母は、なんと手足の指が動かせるほどに回復していた。看護師さんが「もうピースもできるもんね!」と言ったらピースをし、指をシーツに滑らせて文字で伝えることもできた。顔の下半分も動かせるから、笑ってるなということもわかる。30分ほどの面会時間中、母はほとんど指で文字を書いていた。うまおの宿泊に必要な個人情報書類やタオル、服などの場所を伝えたり、私がいつまで実家にいられるのかと確認したりなど。

WALKMAN聴いた?と尋ねると、いままで以上に指が活発に動き出した。喜んでくれたのかな、と指文字を追うと「そうそうこうしんきょく」。

そうそうこうしんきょく?

葬送行進曲?

こくこく。

マジか、誰の曲!?ラフマニノフ?

ぶん!ぶん!

「しょぱん」

ショパン!ショパンの葬送行進曲が入ってたの?

こくこくこく!!(顔が笑っている)

……叔母は音楽に詳しくない。図書館の司書さんに「シューマンとショパンとラフマニノフのCDをください」と頼んで選んでもらったそうだ。WALKMANに入れるとき、曲目をちゃんとチェックしておくべきだった……!!

病院を出たあと叔母に報告すると「すごい回復力!でもなんか怒ってる顔、想像するとウケる。まったく、この人たちは……って呆れてそう(笑)」と返事がくる。

明日面会に行ったらお気に入りの曲を尋ねて、いったんWALKMANを引き取って入れ直そう。

@tsururururu
2024年12月21日、母が倒れてからの日記を書いています。noteはこちら。 note.com/tsururururu