1月18日。土曜日。仕事。
仕事から帰ると、宅配ポストにふるさと納税で夫が頼んだサバの缶詰が届いていた。重たい。あんにゃろう、一日中家にいたはずなのに。しかも昨日もずっと家にいたのに爽健美茶の段ボールの到着を聞き逃して、私が宅配ボックスから部屋まで運び込む羽目になったのに。あれも重かった。いったい彼は何のために筋トレしているのだろうか。せっかくの筋肉の使いどころだったというのに。頑張ったぶん贅沢してやろうと、納税サーモンと納税オリーブオイルでカルパッチョを作る。作りながらお酒も飲む。
ミゲルの代筆で、母からの伝言。自分がいままで準備してきた大きな大会に、私とミゲルで受付の手伝いに行ってほしいという。真面目か!ところがこの日は、あいにく文フリ広島と重なっている。母としては、人を派遣して自分の穴を少しでも埋めたいのかもしれないし、大会の様子も見てきてほしいのかもしれない。けれどたぶん母の会の人たちは、私たち抜きで準備を進めているだろうし、私たちが手伝いに行っても困るかもしれない。申し訳ないけれど断りたい。
リハビリの病院候補も、すでにいくつか挙がっているらしい。医師から提示された候補のひとつに、「餌場に連れて行っても食べてくれない」と副院長が祖母を評したあの病院が入っていた。あ り え な さ す ぎ る。ほかの病院もすこぶる評判が悪く、叔母が憤慨しながらそれらの病院以上に大きくて専門性の高い病院を探していた。母の意思が最優先だけど、私はもう少しいろいろな闘病記に目を通したい。明日図書館に何冊か届く予定なので、それを持って母の病院に行きたい。
1月19日。日曜日。休日。
朝の象徴みたいなサンドイッチ屋に行く。ここのサンドイッチは顔中を使って食べないといけないので、日焼け止めも口紅も塗る前に食べたい。野菜も鶏肉もこれでもかとばかりに挟まっていておいしいけれど、綺麗に食べるのは至難の業だ。夫がラピュタパンをぼろぼろこぼして、こぼすたびに悲しげな表情でこちらを見てくる。紅茶はマグカップではなく、ティーカップで飲んだほうがおいしいことを発見。早起きすると一日が1.3倍くらいに感じられて嬉しい。
開館と同時に図書館に行き、予約資料を引き取る。電車のなかで髙尾洋之著『患者+医師だからこそ見えたデジタル医療 現在の実力と未来』を読んだ。後半はギランバレーとは関係ない、著者にとっての理想のデジタル医療の話だったけれど、前半に知りたい情報が詰まっていてよかった。
著者は4ヶ月意識不明、そこから一年以上声を出すこともできなかったという経験を持つ脳神経外科医。入院から3年以上経った執筆時も、自分で歩いたりパソコンやスマホを指で操作することはできないという。
著者によればギランバレーには脱髄型と軸索型の2タイプがあって、日本では60%が脱髄型、19%が軸索型で、軸索型の方が重症になりやすい。著者も母と同じ、軸索型だという。補装具費支給制度や日常生活用具給付等事業の説明や注意点、便利だった機器の紹介などをメモを取りながら読む。
ミゲルと落ち合うまでに20分ほど時間があったので、駅前の日高屋で中華そば。安くて早くておいしい。ミゲルは職場の人たちに相談して、中抜けや早上がりできるように動いているという。父は頑なに朝出勤して夜帰ってくる、という生活を貫いているらしい。頼めば調整してもらえるでしょうにと言うと、「お願いするっていうのは、要するにコミュニケーションじゃないですか。それが難しい人なんだろうねぇ」と達観した返事。家のこと自体は二人でそれなりにうまく回っていると聞いて安心する。
家に着いて、前から気になっていた小汚い棚を仕分ける。母と父とうまおの小物と服が一緒くたに積み上がっていて、しかもたぶん実際に使っているのはほんの一部という、残念な棚だ。それを終えてコーヒーを飲んだら、母の面会へ。ミゲルから聞いてはいたけれど、呼吸器が抜けて話せるようになっていた!やはり言葉での伝達速度は、文字盤や筆談に比べて格段に早い。水がほしいと言うのでラウンジで水を買い、ストローと蓋の付いたコップに移し替える。
母がしゃべれなかった間のいろいろな話を聞く。父は全然見舞いには来ないが、来たら来たで苛立たしいことしか言わないから来なくていいとプリプリしていた。「許せないのはさ」と始まったので、思わず身を乗り出す。まだ文字盤とまばたきでコミュニケーションを取っていたとき、父が見舞いに来た日のこと。文字盤があれば意思が伝えられるからと、母は必死にまばたきで気づいてもらおうとしたらしい。しかし父にその意図は伝わらず、彼は無言でしばらく立ち尽くしたあと「我慢して頑張って。じゃあね」と去っていったという。文字盤で会話できることはミゲルから聞いていたはずだし、文字盤もすぐそばに見える状態で置いてあったのに!母がぜひ伯母にたれこんでほしいと言うので、この文章を上げたあとでURLを送ろうと思う。
入居中のうまおの帰省頻度も、母と父とで見解が異なり、揉めているという。母の意見としては、うまおの帰省は月一に減らし、音楽療法にだけ行かせるようにしたいらしい。けれど父は、母が元気だったころと同じ頻度でうまおを帰省させて乗馬クラブや音楽療法に通わせたいという。父のプライドか、父自身が馬ににんじんを差し入れるのを楽しみにしているからかもしれない。けれど現状、うまおが帰省すると彼のルーティンに全員が巻き込まれるうえに、馬や音楽療法などの準備は父一人でやれば必ず抜け漏れが出るため、ミゲルの補助が欠かせない。外部への迷惑とミゲルの負担を考えると、うまおの帰省は最低限に抑えたほうがいいのである。幸いうまお自身も安定しているし。母が月一帰省と最初から訴えていたにもかかわらず、父の意向で1月の休日はすべてうまおは帰省したという。ちょうど私たちがその話を聞いているとき、父がうまおを入居施設に送る時間だった。ミゲルから父が2月も何度も帰省させる予定を立てていると聞いた母は、「なんでそんなことするの!」と憤慨した。「いまごろ父とうまおがそちらに向かっており、父から来月の帰省予定の話があると思う。父の希望は聞かずに母の希望で月一にしてほしい」と私からうまおの施設にいますぐ伝えるように頼んできた。夫婦の揉めごと筒抜けすぎる。施設に電話してその旨を伝えると、大真面目な口調で「もしもお父様が駄々をこねられた場合は……」と聞かれる。駄々をこねられた場合!!!「ご家族で相談するようにと帰らせてください。弟からあとで連絡します」とお願いする。
ラウンジから病室に戻って、いま読んでいる闘病記や母の大会、リハビリ病院の話をする。最初の段階でギラン・バレー症候群だと診断される人は少なく、母のように家に返されそうになった人もいると伝えると「でも私はあのとき、家に帰れてよかったよ。るるに頼んで会議に使うもの運んでもらえたし、みんなに連絡してもらえたから」と言う。マジで超人のメンタル。鋼かよ。まずは自分の身体を最優先にしなさいな。母の大会日と文フリ広島が重なっていると伝えたら、文フリ優先でいいと言ってもらえてひと安心。ていうか会員いっぱいいるんだから、その人たちが頑張れや。
リハビリの転院先は、母自身は家から近い場所を希望していた。けれどもそうなると副院長最悪ないし口コミ最悪の病院になる確率が高く、叔母も私も反対していた。母は病院でできる治療はまもなく終わり、ひたすらリハビリの日々なのだから、変な病院でもあまり気にならないと言う。いやでも、神奈川にはもっと専門的なリハビリ病院があるんだから!そっちでちゃんとリハビリしたほうが安心だよ!とやいやい言っていたら、様子を見にきた担当の先生が「転院先決めなきゃね!◯◯病院かな」とさらりと我らイチオシの病院の名を口にした。そらきた!いいじゃん◯◯病院!と畳みかけると、母もすっかり◯◯病院に行く気になっている。しかも先生いわく一人でご飯が食べられるようになったから、明日からちゃんとご飯が出るかもしれないそう。母、とても嬉しそう。いまは醤油のかかっていない豆腐など、味のつけられていないものが一番おいしく感じるらしい。
最近の懸念事項が解決して安心かと思いきや、うまおの施設から電話がきていた。ミゲルが折り返すと、その後うまおを連れて施設に来た父は驚きながらも月一帰省を了承したとのこと。しかし、うまおに持たせるはずの連絡帳が入っていなかったので、近々届けてほしいとのこと。出たよMJ。ミゲルが「いったん家に寄って連絡帳を持ったあと、るるちゃんを駅まで送ってから届けるしかないかな……?宿泊部分には一回しか行ったことないんだけど……」と不安げに言う。どんだけいい子なんだ君は。「一緒にうまおの施設に行こう。もしお父さんが帰ってきてたら、お父さんに届けさせよう」。
父は帰ってきていた。ミゲルが連絡帳を預けると「おう?」と不思議そう。「おう?」じゃねんだわ、はよ行け。ただし事故るなよ。家に帰り、とき子さんと文フリ広島の打ち合わせ。そういえば今日、母にうまおの爆走についていけることを驚かれたけれど、ひょっとしたらそれは文フリのおかげかもしれない。重たいスーツケースを引いて、夜行バス乗り場が見つからずにたまに走ったり、早歩きでブースを巡ったり。気力体力が鍛えられるイベント、文学フリマ。