最近やたらと中国で公開される「天空の城ラピュタ」のポスター画像を目にする機会が多い。(ネットで見るので、単にアニメカテゴリのターゲティングされているだけかもしれないけど)
そのポスタービジュアルは日本のものとは異なり、ラピュタに登場するあるロボットの手が天空に浮遊する少女に差し伸べられている、というものだ。
ストーリーをご存知の方ならもうお分かりかもしれないが、そのようなシーンは劇中に一切ない。ただし、そのように感じさせる「物語の構造」はしているので、嘘をついているわけではない。
ちなみに日本語版では、「ヒーロー主人公」であるパズーが「ヒロイン」のシータを受け止めようとするシーンであったり、謎の敵から不思議な飛行機に乗り空中チェイスをしている「劇中の」印象的なシーンを誇張したり、先述のヒーロー・ヒロインが寂れた街並みを背景に空中を浮遊しているシーンだったりする。
ちなみにちなみに、英語版を検索すると日本版に準拠したものか、もしくはヒロイックな場面を強調したようなもの(誰かを睨みつけるヒーローヒロインと、悪役、不思議な島が背景に佇む)みたいになっている。
色々書き散らしたが、映画のポスターにはそれぞれの国の事情や、映画を見てもらえるように印象付けるためのさまざまな「思考」が巡らされているわかりやすい例だと思っている。
日本はアメリカ文化の影響を受けている、なんてよく聞いたりするが、それは「ヒーローヒロインが中心にいる」という構図からなんとなく感じられる。ただ、日本ぽいなと思うのは「劇中の内容とポスターに大きな乖離を作っていない」ことかなと思った。映画を観た人たちが、「あぁこんな映画だったよな、また観たいな」とか「楽しかったなー、ワクワクしたなー」というのを想起させるような、そういう構造をしているように思う。
対してアメリカ派というと、ヒーローヒロイン感を全面に出し、ともするとキャラクターデザインさえも変更して「君もヒーローになれる!」「世界を救うのだ!」みたいな感じを全面に押し出してくる。これは「風の谷のナウシカ」のポスターで強調されていたように思う。
さて、件の中国語版はどうかというと「大いなる存在が主人公を救う」という構造になっているのではないかと思った。そういったシーンは劇中にはっきり描かれていないけれどまぁそういう解釈もありだよね、という「日本ぽさ」はありつつ、けれど、「でもそんなシーンないし、何か独自解釈の世界観を全面展開している」という点ではアメリカっぽいとも言える。
この違和感、実は中国版の「千と千尋の神隠し」ポスターでも感じていたのを思い出した。こちらも劇中のある一場面を想起させながら、主人公のちひろをたくさんの劇中キャラクターが見守っている、というような画面構成になっている。
…とまぁ、長々と書き散らしたけれど、どうやら中国でジブリ映画を展開する時は「ある種のヒーロー性」を押し出すのだが、それはヒーローヒロインとは限らないこと。また、劇中のシーンをちょっと延長して誇張するというより、かなり延長して抽象化した後に強調する、という感覚があり、その根底には「大いなる存在が主人公(観客)を救う」というような理想像があるような気がした。
というのを朝イチで考えていて、書き殴った日曜日の朝。