「ゆる言語ラジオ」というポットキャストが好きで、ランニングとか筋トレとかしている時にいつも聞いてる。そのなかの回で「プログラミング言語には管理者がいて、問題やもっとこうしたらいいってことがあったら提案して改善できる」という話があった。
このポッドキャストは「言語学」がメイントピックなので、その話の時に「そういえば自然言語(日本語とか)には管理者いないよね」っていう話になり、その発想が面白いなぁと思いながら聞いていた。
日本語のこういうところが変だから直したい、なんて思う人がいたら、多分率先してその直した言葉を使って話し始めて、局地的に使われる「ローカルワード」なんてものになったりするんだろう。けど、広くは使われないからいつか消えてしまうかもしれない。方言、ってのと同じか。
で、それが正しいとか正しくないなんて基準もないから、自由に広がっていく。
さて。
その話を聞いていた時に僕が思ったのは「それと似たようなことって仕事でも起こり得るよな」ってこと。会社員でもフリーランスでも、仕事をしていたら「これは誰が担当」みたいなことってよくあると思うんだが、それが「ない」か「曖昧にされている」か「やんごとなき理由ではっきりできない」なんてこともあるだろう。
そういうのって冒頭の「管理者いない」って状態と似てて、管理者がいないから自由な発想であちこち動きが起こる。それが日本語だったら「方言」とか「女子高生言葉」とかで済むけど、仕事だとなんだかめんどくさいことになる。
責任の所在をはっきりさせることが常に正しいとは思わないけど、何か困り事があった時相談できる場所がはっきりしている、という状態を作り出せると、物事がうまくいくってこともあるよねって思った。