写真を撮りながら歩いていると、罵声を浴びせられた。
話を聞くと、相手側にも色々事情があったようだ。その場は話し合いで丸くおさまった。
と、その一連のことで思ったことがある。いつの間にか、写真が自分と切っても切り離せないものになっているなと。
その行動を理解されなかったり、馬鹿にされたと感じるとものすごく激情する自分がいた。と同時に、その世界を守るための行動と、それを理解してもらい、相手を理解しようとする自分もいた。
これまで傷つけられたら一方的に相手を悪だと決めつけていた自分にはなかった感情だった。
自分は何者であるかのアイデンティティーを傷つけられたら、攻撃に出ているばかりだったけれど。その世界を守る方法は攻撃以外にもあるということ、そしてそれはどういう行動なのかということを理解し、受け入れることができたんだなと。それにはとてもとても、たくさんの物事を積み重ねる必要があったんだろうなということ。
まだスタート地点に立ったばかりなのかもしれない、けどそこに辿り着いた自分を褒めてあげたい。
そしてふと、議員さんとか、広くあまねく活動する人たちって大変だろうなぁという気持ちがよぎった。