怒れる同居ぬいぐるみ(トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の冬』感想)

2022/8/11に投稿したものに一部変更を加えた文章です。

ぬいぐるみが好きだ。やわらかくてふわふわしている。

ぬいぐるみのいる風景を撮るのも好きだ。旅行にはまったく行かないので、一緒に撮るのはおやつやネイルをぬった指や文房具が多い。共に生活している感を味わうことができる。

一番若い同居ぬいぐるみは去年の冬、クリスマス前あたりにやってきた。

かれらは私のベッドに置いてあるクッションの隙間に住んでいて、そして常に怒っている。

かれらの名前はアングリーフェイスムーミン。大きいのと、ちいさいのがひとりずつ。

それまで入れられていた段ボール箱の居心地がすこぶる悪かったのか、その表情は芳しくなかった。あいにくと私の部屋にはジャスミンのしげみもライラックのしげみもないため、せめてもと私のベッドを住まいとして提供することになった。

いま『ムーミン谷の冬』をちまちまと読んでいる。集中力が以前より格段に落ちてしまったため、ゆっくりと雪を踏みしめて歩くように、読んでいる。

ムーミン谷の冬はひとりだけ冬眠から覚めてしまったムーミンがそれまで知らなかった冬を体験し、ふだんはいないとされているものたちの存在を知る話だ。

雪で閉ざされたムーミン谷をはじめて目の当たりにしたムーミンは、ふだんとはまったく違う世界の様子に「ふつうの生きもので、自分と同じように目が覚めてさびしく思っているもの」がいないか戸惑う。

ああいうれんじゅうは、ただそこにいるからいるのですが、なぜそういうものがいるのか、それはだれにもわかりません。いくら考えてみても、がっかりするだけのことでした。考えようにも、まるで手がかりがないのですもの。

(トーベ・ヤンソン著 山室 静訳『ムーミン谷の冬』講談社文庫 P.48)

冬の生きものたちのことをなにも知らないんだもの、というムーミンにおしゃまさん(トゥーティッキ)はこう言う。

「この世界には、夏や秋や春にはくらす場所をもたないものが、いろいろといるのよ。みんな、とっても内気で、すこしかわりものなの。ある種の夜のけものとか、ほかの人たちとはうまくつきあっていけない人とか、だれもそんなものがいるなんて、思いもしない生きものとかね。その人たちは、一年じゅう、どこかにこっそりとかくれているの。そうして、あたりがひっそりとして、なにもかもが雪にうずまり、夜が長くなって、たいていのものが冬のねむりにおちたときになると、やっとでてくるのよ」

(トーベ・ヤンソン著 山室 静訳『ムーミン谷の冬』講談社文庫 P.64)

トーベ・ヤンソンがムーミンの物語を発表していたころのフィンランドは同性愛が禁じられていたという。おしゃまさんのモデルになった、トーベと生涯をともにしたパートナーも同性だった。

自身のアイデンティティに悩み、多くのマイノリティたちがそのことを隠さなければならなかったこと、夜にひっそりと生きざるをえなかったこと。今でも、そうしなければ息もできず苦しい思いをしながら生活をしている誰かがいることを、忘れてはいけない。

私は私自身のことを今まで生きてきて「ふつうの生きもの」だと思っていた期間が長かったが、同時にきまりの悪さ、居心地の悪さも感じていた。

ここ数年でようやく自分がアセクシュアル、アロマンティックに近いなにかなのではないかと気づきを得ることができた。

少なくとも「ふつう」であるところの異性愛者ではない、が自分がなんなのかわからない。自分に近いロールモデルがいない。言語化もうまくできない。そのことが私のきまりの悪さであり、世の中への引け目だった。

気づきを得たいまでも、はっきりと断言することはできないでいるし血縁の家族に伝えたことはない。ネット上以外でそれを口にすることも今のところない。今後のことはわからないが、今はできるだけ夜の生きものでいたい。

一年ほど前、意に添わない形で対面の人間に釈明せざるを得なかった場面があり、後悔している。言いたくない、それは失礼な質問だと当時の私には言えなかったし、今でも言えるかどうかわからない。

私はお日さまの当たる場所で生きるムーミンの面も持ち、ほかの人たちとうまくつきあっていけない夜の生きものの面も持っている。ムーミンの視点だけでものごとを見て、ほかの属性を傷つけることもきっとあるだろう。

だからこそ、自分をふくめてその人ひとりひとりが「ただそこにいるからいる」のであり、自分が知らないだけでその人の生活がすでにあることを、その人の属性だけを見て排除したり偏見の目で見ることの愚かしさを、常に念頭に置いて生きていきたい。

ベッドで暮らすムーミンたちは今日も怒っている。

ぬいぐるみという存在であってもだれにでも愛される表情でなくていい、怒っていいのだ。

かれらの、誰かのおしゃまさんに私もいつかなれるだろうか。生活は続く。

@tumugu
ぬいぐるみと生活