ふたりだけの国(ヴァージニア・ウルフ『青と緑』収録「ラピンとラピノヴァ」感想)

「ふたりは結婚した」という簡潔な文章から、物語は始まる。結婚したことにより、ロザリンドはアーネスト・ソーバーン夫人になる。その呼ばれ方によそよそしさを感じ、アーネスト某夫人という事実に「決して慣れることはない」ことも感じている。

ロザリンドはアーネストの鼻がひくひく動くところを見て、彼をうさぎに例える。彼はおどけてわざと鼻をひくひく動かし、彼女は笑い転げる。

そこからふたりはアーネストとアーネスト・ソーバーン夫人からラピンとラピノヴァになった。

穴うさぎのラピン王と、野うさぎのラピノヴァ女王。ロザリンドは生活の合間にうさぎの一族の話をつくりあげ、アーネストもそれを助ける。

アーネストがふいに鼻をひくひくさせるたび、ふたりは人間からうさぎになる。

ロザリンドが手を胸のあたりでぶらんと垂らすたび、人間の手はうさぎの前肢(まえあし)になる。

ふたりだけの秘密、ふたりだけの国。荒れ野や森を駆け抜け、小川をジャンプして渡り、空想の世界でふたりで遊ぶ。おなじ空想の世界を共有して、どこまでもともに遊んでくれる者がいるということはなんてたのしいことなのだろう。

トーベ・ヤンソン『たのしいムーミン一家』に登場する、ふたりだけにしかわからない言葉で話すトフスランとビフスランを彷彿とさせる。

ロザリンドはふたりだけの世界があったことで、ソーバーン一族の伝統的な家族のイベントをやり過ごし、冬を乗り越える。

ふたりがうさぎのラピンとラピノヴァでいる間の文章は文字どおりとび跳ねるようにいきいきと、うつくしい。だが、ふたりだけの国は、ふたりのどちらもがそれを維持する心がないと、たちまち破綻してしまう。

ラピノヴァはひとりで空想の荒れ野を彷徨い、小川を飛び越えようとする。だがそれはかなわず、ひとりで蹲る。

うさぎの前肢は人間の手に戻ってしまう。ふたりだけの国=結婚は、ラピンではなくなったアーネストから告げられたうさぎの死によって、終わりを迎える。

もしかしたら、ふたりの婚姻関係はその後もしばらく続いたのかもしれない。アーネストからロザリンドへの愛が冷めてしまったとは言えないと感じるひともいるかもしれない。

だが、ロザリンドにとっての結婚の終わりはうさぎの死を告げられた瞬間だったのだ。

@tumugu
ぬいぐるみと生活