「Books(tore) witness you. 5」関口竜平 本屋lighthouse #読書 本屋をやってる関口さんの2025年4月〜9月の大体半年分のにっきとか、エッセイとか書評とかが入ってる本。わたしは人生で「記録を取る」ということ、特に「日記をつける」ということがどれだけ頑張っても全然できなくて、旅行行った時だけでもちゃんと記録を取る!と思っても、全然ダメで、数ページ書いたノートだけが溜まっていく。でも、この間鳥の観察をしてたときは、「記録を取れ!」とめちゃめちゃ言われて毎日つけてた。その記録は私のためというよりは、わたし以外が記録をとらなければ(人間の世界で)「なかったこと」にされてしまう、 ずっと踏み潰され続けていく存在のため、であったからできたんだよなーと思っている。わたし自身は、自分の生きてきた道筋というか、記録、積み重ねてきたものに興味がなく、いつか記憶や記録がそれとわからない形で小説になって出てきたらいいか、と、その程度にしか考えてないからなんだろうなと思った。関口さんの日記は、本屋をやっててお店に来た子供たちのこととか、政治の話とか、楽しかったこと、いろんなことがごちゃ混ぜになっているけど、「読まれること」を想定して書かれているものだから、情報は取捨選択がなされている。
でも、とっておきたい記憶だったり、書き留めておきたい(そして日記という形だから、誰かに向けてではない形で)届けられる思考が記されていて、なんとなくおぼろげに人物像が立ち上がってくる(多分知らない人が読んでも)し、自分が本屋lighthouseにいるような気持ちにもなる。印象的だった部分はたくさんあるけど、飲み会や複数人で食事をして、その飲食の代金をみんなで折半する時「良かれと思って」追加の皿が注文されていく時の、街を歩いていて休憩に予定していなかったカフェに入りませんかと誘われる時の、「金銭的な怯え」について書かれていたところは、自分も抱えているものなので、考えが馳せられていることにほっとしてしまった。文フリとかへ行った時くらいしかわたしにはそういう複数人での食事とかはすることがないんだけど、どんどん嵩んでいくだろう折半の金額にずっと怯えていた、だけど「みんなおんなじ経済状況である」という前提で回されていく場の乱暴さ。「出せない」とは言えない、あの辛さとか。いつまでも共有できなかった、そしてこれからもできなさそうな悲しみとか怯えについて、ときどき重なる部分があり、他人の「記録」なのに、日記ってなんか不思議な媒体だなと思った。遠い未来に種を撒き続けている、その流れ星を作りづける行為が書かれていた。
