「まだ」という単語と、語りについて。みんぱくにいってきました

tutai_k
·
公開:2024/6/15

昨日は大阪へ行っていた。国立民族学博物館、いわゆる「みんぱく」である。

いまみんぱくでは水俣病の展示をやってて(3月くらいにもまた別の展示がやってた。今回のは後半の企画?なのかな)、テーマは「水俣病を伝える」というものだった。メインで展示されていたのは映像資料で、水俣病事件を「伝えている(語る)人たち」の、声がそのまま聞くことができた。水俣病事件に関わっていたひとたち、というと、発症した当事者や家族、というのが真っ先に思い浮かぶけれど、運動に参加していたひとたちや、流れ着いてやってきて水俣病と関わることになった方、いろいろなひとたちの「声」もそのまま聞ける展示だった。去年、若槻菊江という、東京のハモニカ横丁でノアノアというバーをしながら水俣病事件の支援をしていた女性の伝記を読んだ(『若槻菊枝 女の一生』奥田みのり/熊本日日新聞社)。若槻さんは水俣出身ではなかったし、水俣から離れた東京という場所で、この問題の支援をしていた。お金はもちろんだが、東京へ来た水俣のひとたちの宿泊などの場所を用意するという具体的な行動もとっていた。

最近、地元の原発運動に関する本も読んでいる(『原発の断り方』柴原洋一/月兎舎)。三重県の南伊勢町というちいさな町に、国と電力会社が原発を作ろうとして、それらを漁民が中心になって退けたのだ。地域社会の分断、葛藤、いまも電力会社は「予定地」を所有しており、当時のように漁獲高がない南伊勢町で、ふたたび原発の計画が持ち上がったとき、漁に携わる人たちだけでなく「土地」の人がそれに抗しきれるかということを考えては薄ら寒くなる。

さみだれにみだるる緑原子力発電所は首都の中心に置け

という塚本邦雄の歌があるけれど、工場や原発というのは、いつだって地方におかれる。本当に安全なものならば、首都におけばいい、ということもだけれど、お金の問題や、おそらく「知識」に対する偏見もあるだろう。わたしはいまだに、自分の町でおこった海女の公式キャラクターの問題のときに、外から投げつけられた言葉(海女さんに女性問題を考える様な教養はない。都市部のフェミニストが裏で指示している)を忘れられないし、地元の原発問題の本を読んでいても、「なぜ漁民がこのように教養深かったか」という言葉にはひっかかりをおぼえる。

一次産業に従事していたり、地方に住んでいたり、それだけですでに「理解力がない」「手玉に取りやすい」「自発的な行動ができない」というイメージが着いてしまっている、とも思う。「言葉」を持たないという先入観に、支配されているとも思う。

今回の展示には、水俣病事件で発せられた「言葉」たちのパネルがあった。これは企画展の案内ポスターにも書かれていた言葉だけれど、「ふだんはとても気のいいおじさんおばさんですね。田舎のおじさんおばさん。それがやっぱり追い詰められて、本気になると、こんなことまでするんだっていうエネルギーをもっている人たちですね。そんな人たちのことを伝えたいなあと。」(吉永利夫)こういったことは、なかなか届きづらいと思う。そこにたどり着く前に、多くの偏見だったり、前提をくぐり抜けてこないといけなくて、そのもどかしさとかを、「声」が伝えてくれる展示だったと思う。これは展示の企画の中心になっていた方が、水俣という現地に実際に身を投じてその場の空気や声を聞き取ってきたから作れた展示だと思う。ゆっくりと見ることができて、とてもよかった。

展示物は映像資料だけでなく、実際に活動で使われていたものや、日記など、ほんとうに貴重なもの、普段ならば水俣に行って水俣病考証館でしか見られないような「現地」のパネル展示(複製品)などがあり、どのような「言葉」「声」が、その場で使われているか、その場の空気も一緒に伝えようとしていたと感じた。

それから、わたしがいいなあと思ったのは、「地元学」という取組みについて。地元の人でもやはり、自分の住んでいる地域に対して知らない部分があったりもする。実際に歩いて、写真付きの地図を作って、(水俣病から離れた)「地元」を発見していくという試みは、わたしも自分の地域でもやってみたいと思ったし、地元のひとが集めた情報から、「水俣」を体験したいとも思う。

去年、市立の水俣病資料館へ行ったときに、わたしがとても印象に残ったのは、この地元学の取組みの展示(だったのではないかといまでは思う)かなあと思うのだが、水俣の地図に地元のひとたちが実際に歩いて発見したことをイラストで描き込んでいるものだった。そこに「カワセミがまだいる」と書かれていた。

「カワセミがまだいる」

「まだ」という言葉をえらんでこの鳥の存在が地図に書き込まれていることは、わたしに、「自分が生きている土地を歩くとはどういうことか」を教えてくれるものだと思った。「まだ」という言葉。それは、「過去」を知っているから付けられる言葉だ。カワセミという鳥は川にいるイメージがあるけれど、じつは海にもやってくる。この土地の歴史を考えるとき、汚染された海で魚を捕っていたカワセミたちのことはもちろん考えるし、「まだ」という言葉にそういったイメージを想起させられることはたしかにある。だが、「まだ」と言うとき、ひとは、歴史だけでなく、自分の過去に積み重ねてきたものも内包してその言葉をえらぶ場合があると思うのだ。子どものころにこの場所で見た、だけど大人になって山野を歩かなくなって……とか、父母、祖父母、地元のしらない老人たちから「いる」と聞いていた、その「聞いていた」ことが目の前にあらわれた、とか……。大きな地域の歴史としての「まだ」と、個人の過去の「まだ」その交差点が、あの「まだ」にあったのではないか、と。

たった一つの事柄を示しているのではなく、いくつもの意味を抱きかかえている言葉を受け取る。――言葉と向き合うことに、難しさを感じながら、希望を感じる瞬間でもある。