まだフェミニズムというものに自覚がない頃に文庫で一度、全集で一度読んだだけの『少女コレクション序説』(澁澤龍彦)を読みかえすというチャレンジをしている。フェミニズムというものを意識するようになってからは、「これを読んだらもう澁澤龍彦とは付き合っていけないかも知れない」という危惧を抱いて、読み返すのもためらっていたのだが……。おかげで内容は全く覚えて折らず、目次を見てぎょっとし、「や、やっぱやめようかな」と思ったがこわいもの見たさで読んでみたら、50ページくらいとくになんの苦痛もなく読んでしまって(とはいえまだセーラー服と四畳半とかいう絶対ヤバそうなやつには到達していない)、人生の大半(十代前半で出会っているし、人生で一番読んでいる本は澁澤龍彦なのだ・次点が星野道夫)、ことあるごとに読み、全集を一年かけて通読し、関連書籍も片っ端から読んでいるので、もう澁澤龍彦は呼吸なのだった……と言うことに気づく。いや、この間『快楽主義の哲学』を読み返したときは、「何言ってんだ!男、男、男、男しかいわんのか!何でも男性特権にしやがって」みたいにイラッとした部分もあるし、正直、「わたしと澁澤龍彦、同世代に生きてたら絶対仲悪かったし、わたしは絶対きらいだったな」みたいな実感すらしたので、『少女コレクション~』も、読んでいけばそう思うところが出てくるかもしれないんだけど…なんか、もう、なんて言うんだろうか……フェミニズムに対するバックラッシュ的なものが、もう「この地点(少女コレクション序説であったり、昭和62年以前の価値観)」とは違う論調(いまだに同じことを言っている部分もたくさんあるが…)になってきているので、もう澁澤龍彦が何を言っていても、「あ~はいはい、それね、もういまさらドヤ顔で言うことじゃないの、独創性がない、やり直し!」みたいな感じで受け流せる……気がしてきた。
とはいえ、まだ50ページしか読んでないので……どうなるかは分からない。
あと、別件で矢川澄子を読んでる。澁澤と矢川をちゃんぽんに読んでると、まるで同じ用事で読んでるように見えるんですけど、ほんとに全くの別件。わたしは、矢川澄子は、もういい加減、澁澤から離れて読まれるべきだと思っている。心の底から、思っている。