この間、「少女コレクション序説』(澁澤龍彦・中公文庫)を読んでいるとここで書いた。結局全部読み終えた。
「もうこれはあかんやろ……」というすさまじい章がこの本にはあるのだが、そのあかんやろ…という言論の正当性を訴えるために澁澤が、自分は乗れもしなかった自動車の例を持ち出し、「家に自動車があったら乗りたくなるのは当然のことだ!」と言ってきたため「(自動車が)ノックするという意味もわからなかったのに……移動や旅行は龍子さんや編集者さんの運転だったのに……なんでこのひとは運転できるみたいなドヤ顔してるんだ(文章だけど)」とそればっかり気になってしまい、肝心の内容どころではなくなってしまって、澁澤と決別しなくてよかったのはよかったのだが、「こんなところでまで見栄をはっちゃって、一体それはなんなんだ」というほうが発言よりも気になってしまった。
それはそうと今日はリモート労働の日だったので、朝からちょっとだけ家の裏山で鳥を見るか、と出かけた。セイタカアワダチソウの原っぱみたいになっているところがあるのだが、立ち枯れているセイタカアワダチソウの茂みががさがさいってて、シロハラやホオジロといった小鳥類よりあきらかに大きいタイプの生き物の気配がした。「絶対キジだ!!やった!出てくるぞ!」と息をひそめて待っていたら、「フガッ」という鼻息が聞こえて、イノシシが出てきた。目が合った。おたがい「やばい、どうしよう」みたいな気分だったと思う。むこうも「動いたらやばいかな」みたいな感じの雰囲気だったし、こっちもそう。だいたい距離が5メートルなかったと思う。ゆっくりゆっくり、イノシシが森の奥の茂みに入って行ってくれたのでよかったが、これがウリッチョを連れている時だったら私は死んでいたな……と思った。去年の秋くらいで、裏山の奥のほうの畑のおじさんが農作をやめてしまったので、人間の気配がなくて、周辺がイノシシ的には安心して動き回れる場所になっていたのだろうが、ちょっとそこは我が家の敷地かな……という場所である。家に駆け込んで、ベランダから見ていたが、気配はもうなかった。
鳥を見なくても、そこはミカンとか作ってるし、我が家のじいさん(98歳)の畑から10メートルも離れていないので……もうちょっと奥で活動してほしい。お互い棲み分けができるといいな…。家の裏山なのに、鳥を探すのがちょっとこわい。
今さっき帰宅した父親に「イノシシが出た」といったら「なんで戦わんかったんや!またでるやろ!」といわれた。漁師は大抵のものは銛でつついたらやっつけられると思っているが、カメラと双眼鏡しかないのにイノシシは倒せないし、銛があっても倒せないと思う……。