今年の夏、ついに3Dプリンタを買った。数年前に会社で触ったことはあったけど、部屋に置くとしたら大きさや騒音はどうだとか、逡巡しまくったが、BambuLab A1 Miniの登場で諸々が解決された。3Dプリンタもそうだけど、自室用VRヘッドセットもQuest3の登場を待ったのは正解だった。初期に少し触ったものも普段使いにはちょっと大変そうだったので。
何を作るかといえばそんな大それたものはなくて、公開されているモデルを使って妻が集めているキャラもののキーチェーンやフィギュアを飾る台をプリントしたり、ちょっとしたものをCADで作ったりしているだけ。
それだけなんだけど、思わぬ効用もあった。ものを失くすのを怖れる自分にとっては、データさえあれば何度でも作り直せる仕組みが手元にあることで諸々の安心感が底上げされたのであった。3DプリンタというかPLA, PETG, TPUなどのこの機種が対応している材質で作れるものは機械的な性質においても自分の設計スキル的にも限定されるが、そういう実利的な意味でなくて精神的な意味でなぜか安心感が高まった。まぁ実利面も一応良いことはあった。ちょっとしたパーツをAmazonのマーケットプレイスで怪しい業者から買わなくてもよくなったので。
あと、さらにごく個人的な人生の取りこぼしを回収できたのもよかった。
大学学部時代は機械工学科にいた。設計やその背後の理論は面白いと思いつつも、実習などで自分の発想力や創作意欲のどうしようもない欠如を感じてしまって、苦手意識があった。大学院で分野を変えるぐらいには。「メイカー」的な文化にもちょっと距離は感じている。何も作りたいとか思いつかないな、と。そしてそのまま10年以上過ぎた。
そんな感じでずっと触れるのをためらっていた領域に久しぶりに触ったら実は大丈夫だった、というのがここでの救いだった。3D CAD (Onshape) を触ったら意外と当時の知識により速習できたり、そもそも業務的なものづくりとは異なる個人の趣味としての気楽さを今更体感したりしたことで、経歴の汚点だとか失敗だと思っていたことが、少なくとも知識それ自体や行為自体は面白いものだと肯定できるようになった。書くと大げさだけど、実感としてはかなり救われた思いがある。