死ぬときは、たくさんの孫に囲まれて、たくさんの人に愛されて死にたい。
少し前までは人生は無限に続く可能性があると思っていたが、30代になってその夢も少し薄れてきてしまった。不死になるための医療技術はあと少しというところまで来ているような気もするが、理論上可能といわれるような方法が見つかってから本当に使える技術水準に達するまでは数十年〜百年くらいかかる。そのスパンは早くなってるとはいえ、あと50年以内には実用化してくれないと、自分はその医療を受けることなく死んでしまうことになる。今のペースなら孫の代くらいでは人類は不死になっていると思う。それはとても羨ましい。
父方の祖父は「子々孫々の繁栄を願う」と死の間際に綴っていた。その言葉は自分の人生の指針になったような気がする。多分死ぬ時はそう思うんだろう。
入院している祖父の病院にはよくお見舞いに行った。病床で祖父は自分に因数分解を教えてくれた。まだ学校では習っていなかったけど、数学は好きだったこともあり、割と真剣に聞いていた気がする。当時はよくわかっていなかったけど、娘ができた今なら気持ちがわかるような気がする。多分そのときの祖父は幸せだった。
祖父には5人の孫ができていた。特に自分と兄弟はよくお見舞いに行っていた気がする。お葬式にはお寺から溢れるくらいの人が来た。中にはお坊さんまで派遣してくれた人たちもいたこともあって、お坊さん7人でのお経の大合唱になった。短気で怒りっぽい祖父であったし、今なら違法になるような金利で金を貸していた商売人だったから嫌われていそうな気もしていたが、あのお葬式は全然そんなことなかった気がする。一人、国から出てきて、大学に通い、戦後大阪で起業して、流れに流れて青森の地に行き着いた20代の台湾人の青年が、この田舎町でこれだけの人徳を得るのだから相当な努力はあったんだと思うけど。
人生をかけて目指したいことがあれば、人生は多分ずっと楽しい。プロのスポーツ選手になりたいという夢や、アイドルになりたいという夢も立派なものだとは思うけれど、やはりそのあとの方が人生は長いのだから、人生をかけた目標は持っておくべきなんだと思う。年齢が上がってきて、成功して目標を見失ってしまった人たちは見るに耐えない。
死ぬときは、たくさんの孫に囲まれて、たくさんの人に愛されて死にたい。
この目標は自分にとって自然で納得感のあるもので、人生を豊かにするとても大切なものだと思う。