最近書いてないよ、というのが目に明らかなユーザー用のページがございまして、耐えられなくなりつれづれをつれづれ
年末は手芸屋で得た既にステキなタッセルをピアスのキャッチに引っ付けたり、机に作品を並べるタイプの戦にあるとうれしい「あの布」を縫ったりしていた。
野鳥をみると心が良くなるらしい。鳥の沼に落ちるには各々入り口があると思うが、野鳥は興味を持たないと「とりの目」は養われないし自力で鳥が見つからないのは身を持ってわかる。(環境と同化して見え難いものを見つけ出す能力を〜の目と言いがち。きのこやコケ、シダ)
私は飼い鳥から入って、野鳥に詳しい友人に手を引かれて入り口にいるニワカの中の下ニワカだ。8倍の双眼鏡はいつも持ち出し忘れる。家の前でキジバトがさえずりを反響させて気に入っていたり、イソヒヨドリが昼夜なく高らかに歌い散らして、ただ近所の公園に鳥がいるだけで嬉しい。
寒いことを除くと冬は下ニワカにも野鳥観察のしやすい時期だ。葉が落ち、残った緑も彩度が低い。色鮮やかな渡り鳥がくるし、山で暮らす鳥も降りてくる。カモの仲間なんか日本に来てから冬毛にお召し替えするんだって。すてきだね。カラ類(丸いボディに慎ましいクチバシ、後から付けたような細っこい脚)なんか大人になってから見えるようになったものだから、外で見かけるとお得な気持ちになる。
そんな私にも怖い鳥がいる。文鳥という。あれはほぼ恐竜である。人間が扱える限界サイズが今の文鳥と呼ばれる鳥に違いない。フィンチのなかまでもバランスの大きいクチバシ、気分次第でそれを振りかざし威嚇する。人間の噛んだら剥けそうなところは容赦なく狙い、口腔は上顎も舌もギザギザがついている。瞳も戦化粧のごとく赤く縁取られ先手必勝の気性の荒さ。間違っても私のSNSに文鳥を送らないでほしい。文鳥こわい。