10/4
瀧口修造展+ソットサス展の最終日に滑り込み。完全に失念していた。ソットサスのトーテムシリーズの、インドとか東洋旅行してから謎の寝込みを経て思いつくエピ、その時代に似つかわしい神秘体験じみている。風景に即席で椅子とか布を置いて言葉を添えるスケッチ的試みシリーズがいいなと思う。完ぺきに計算され完成されたプロダクトが作品になってしまう形態は背景を想像しにくいが、スケッチはそこに至る過程、思いつくままにいろいろ試してこねくりまわしている感じが手に取ってわかる。即興的だからこそ詩的に成立してしまうところがある。瀧口修造、避けて通れないのであちこちで引用とか様々な文献で批評や詩を読んだはずなのに、著作は絶版ばかりだからまとまった量の文章にあたったことがない気がする。書くことから描くことへの移行は、ペンを握って原稿を書く時代の身体であれば、思考が止まり手が止まるかと思いきや自動筆記が始まる…という体験が起こりうることは想像に難くない。私は原稿用紙に文章を書ける自信がないので、書く→描く、あるいは言葉を扱う作業から美術的なアプローチにゆるやかに移行する境目がどのへんにあるかわからない。粘土をいじることとキーボードを打つことは別物すぎる。キーボードが粉塵に塗れる心配をして生活していて、同じ日にその2つを並行して作業するのは難しい。壁一面に、瀧口修造の作品と影響を受けてきたクレーとかミショーとかの作品が分け隔てなく配置されているのを見て、その断絶のなさ、混ざりあってひとつの指向性を帯びている光景に安堵した。批評と創作は、隔たれてほしくないし、どちらかに優劣をつけられたくない。深く潜るにはどちらも必要だ、などと思いながらどちらも十分にできたためしはないが、最近は、よく読みよく見て批評ができなければ、創作は面白くならないだろう…という時期と、作ってみたときの難所を理解して初めて読解が可能になる状態、というのを交互に行う以外の試行錯誤をおれは知らない……
昼飯は、一度は行ってみたかったヤエチカのbubby'sで食べる。こないだのシェイクシャックのチキンバーガーは失敗だったけど、ここのチキンバーガーはコリアンダーシードが効いたスパイス和えで、焦げ目をしっかりつけた衣と馴染んで食べやすい。コールスローはリンゴなので甘みが強いがバーガーには合う。あと、ポテトがいい。皮付きジャガイモを揚げた細長いタイプで、皮の苦味と食感のいいとこどり。チェリーパイを出している店なので持ち帰って食べた。チェリーパイは味よりもビジュアル(さくらんぼかわいい)と雰囲気が好きなだけかもしれないが、出してる店が少ないのもあり、見つけたら無性に食べたくなる。初夏にはチェリーお菓子がお目見えするのに、今年はそういえば食べてなかったな。チェリーパイの美味しい店があったら是非知りたい。bubby'sのチェリーパイは、サワーチェリーどっさりではなく、酸味もボリュームもほどよく控えめバランス型。アップルパイも食べたけどこちらも同様。
うろんは夜中にベッドに登り、太ももの間に挟まった。しかし私は脚をとじかけているので、嵌まりこむには溝が足りない。ホリホリしつつ、溝に対して全体重で圧をかけてきた。それに観念してぎぎぎぎ…と脚を開いたら絶妙に寝心地の悪い姿勢になってしまった。
10/5
週明け。先日買ったちいかわのふんばるずを職場に連れて行く。朝家を出る直前にうろんがうんこして、うんこを片づけた袋はそのままゴミの日に出すゴミ袋に。片手にゴミ袋、もう片手にエコバックに詰め込まれたちいかわを持って外に出る。ちいかわは満員電車の中でむぎゅられ、職場に着くとピッとカードをかざして開いたドアを私と一緒にくぐり、蛍光灯さんさんのフロアに入る。ちいかわはネットカフェでパソコンからインターネットをやっているが、ちいかわが労働で机に向かっているのを見たことがない。ちいかわとハチワレ行きつけのネットカフェはやたらぼろくて薄暗いから、もしかしたらぱきぱきに明るい蛍光灯に照らされながらの労働はしたことがないかもしれない。ふんばるずのちいかわは、デスクワーク中に自分の腹と机の間に挟み込むことで猫背を防ぐ、体勢の悪い癖をつけないためのアシストアイテムという位置づけらしい。このちいかわは頭がでかくてまんまるだけど、身体は扁平にできていて、横から見るとぬいぐるみとしては不格好なバランス。和式便器を横から見た感じのフォルム(たとえが便器なの、ひどいな)。机に挟んで下をのぞき込むと丸い頭頂部が見えて、膝に乗ったうろんの頭を撫でるときみたいに指3本ですすっと撫でたくなるフォルムをしている。机に腹をつけるようにしてちいかわを挟む、背筋を伸ばす、モニター見る、キーボード打つ、をひととおりやってみる。が、私の机にはモニターとキーボードが2つあってちまちま行き来しているので、左右に動くたびにちいかわの腹は横に擦られつつ圧迫された後、コロンと横倒しになる。私は動いちゃいけない。姿勢キープというよりも、膝に乗せたちいかわ固定ミッションを課せられている。席を立つときに椅子や机の上に置いておくとぬいぐるみを持ち込んだ感が出てしまい、不届き者としてチクチク文句を言われそうな予感がする。ちいかわを机の上に伏せて置く。真っ白は保護色で、職場の色彩に溶け込んであまり目立たない。このちいかわの眉毛はゆるやかにカーブを描いていて、よく見るちいかわの表情よりも微笑みがある。しかしこの微笑みは作り笑いという感じが否めない。使用者が労働の場に持ち込んだときに励ましてくれる存在として、笑い顔を意図的にデザインされたんじゃないかと思う。ちいかわには嘘がない。相手を慮るときでさえ、悩みは表情にでる。全方位に気を遣ったような節度のある微笑みをしないはずだ。じゃあこのちいかわは嘘くさいのかというと、ちいかわなんだからそんなことはない、とも思う。ちいかわにこんな顔をさせる労働と職場が良くない。このぬいぐるみはちいかわとハチワレとうさぎの3種類が発売されているらしいけど(売り場にはちいかわしかいなかったから選択の余地はなかった)、私が職場に持ち込むなら、やっぱりちいかわだよなと思う。私の労働を見せたときに、ちいかわたちは何を感じるのだろうか、と考えると、うさぎを選んだら私の反骨精神が刺激されて就労意欲が低下しそうだし、好奇心旺盛できまじめなところがあるハチワレにはブルシットなジョブがあることを目の前で教えたくない。ちいかわは、私がやってる作業ってなんだろな、わかんないな、って思いながらずっと見ていると思う。きっと退屈だろう。眠くなったら寝ていてほしい。でもちいかわは、なんかこの人労働しているんだな、ということは感じていて、ただただモニターに映る文字や画像を、文字や画像の連なりとして見続ける時間を過ごすのではないかと思う。私が子どもの頃、親がPCに向かって何かをやる労働を見たことはなかった気がするが、母がアルバイトで自販機の缶ジュースの入れ替え作業をやっているのを観察し、父が答案の採点をするのを「何が書いてあるのかわからないや…」と思いながらペンの音を聞く時間があった。ちいかわがニンゲン界にいるときは、せめてそういう時間を過ごしてほしい。
キングダムのS2の3話目、ドルッセの息子が催眠で病院の地下を探索するところで、虎が現れたから変身だ!あっ、ペンギンになっちゃった!大失敗!→起床、という謎の笑かしてくる場面があり、そういえば昔一度だけ明晰夢を見たときに、目の前の皿にショートケーキを出現させるぞと念を送ってケーキが現れかけたところで気を抜いたら焼きそばになって残念だったことを思い出した。ペンギンになって大失敗、というの、感覚的に「そういうことだよな」と腑に落ちる。トリアーはよくわかってる。にしても、キングダムは人間のふりをしていた悪魔が異形ベイビーの父ちゃんでした!といきなり新キャラ登場して、生えてきた角をあわてて自分で引っこ抜く、という描写に度肝を抜いた。そんな発想思いつかねーよ。なんなんだよこのドラマ。
10/6
ソファで寝落ちした後にベッドで1時間ほど二度寝してみて気づく。この1時間の惰眠を経ると、肩がバキバキに、痛い。これは枕だ。枕がへたって低くなって、寝れば寝るほどダメージを受ける。というわけで、帰りに枕を物色。しかしビックカメラの寝具コーナーには万単位のものしかない。高さ測定器で測ってみたら、3~4cmくらいのものがベストらしい。たしかにおれは低い枕が好きじゃない。ヨドバシには枕コーナーがない。無印の枕がへたったからNG。しょうがないのでドンキで手軽な値段のものを探してみるしか…と行きつけドンキをみてみるとわりと充実している。そしてテンピュールが在庫1個残っていて9999円。こ、これだ。この値段まで下がっているなら、テンピュールで即決するしかない。テンピュールといえば、上京するときの引っ越しで親が用意してくれていた人生初低反発枕がテンピュールだった。あれはたしか10年もったので、元が取れるものと期待している。連れの枕を買わなかった(ベスト枕選びを代行するのは無理)罪悪感もあり、ゴディパンを買って帰った。行列だったけど最近はふつうに買えるんだな。
龍さんから借りた「蒼迷宮」読了。たまたま教室で借りられる本を探したら目の前にあったのがこれ。主に平成前期の女性作家オンリーミステリーアンソロ。収録作は乃南アサと菅浩江がダントツで良かった。平均して90年代の作品なので、私が子どもの頃の売れ筋くらいの時代なのだけど、懐かしいような、描写されている生活のありようはもうすでに古いような、それくらいの距離がある。鈴宮さんとLINEで「現実と離れたところを欲しているのに現代日本文学はSNSの延長というかそれをさらに煮詰めた感じの息苦しさの世界が広がっている」という話題になり、そういえば私、昭和くらいの昔のものが時代的隔たりで楽しめるようになってきたな、ということを考えながら読んだ。平成はだいぶ離れつつある。
10/7
起床。肩の痛みは少し和らいだ。ゴディパンを半分こにして食ってみた連れ、うーむ、こういう味もあるんだなぁ、でも他にも美味しいパンはいっぱいあるよね、という微妙なコメントを残す。職場に半分この残りを持っていって食べたら、ビーフシチューパンはカカオ練り込み生地にシチューフィリングで、トッピングのピンクペッパーがあればなんとかなるじゃろ!と次第点にまとめた感があり、フゥン…チョコがけパンはふつうに美味いくらいで、やっぱりフゥン…なのであった。
職場で上司と話していて、「あなたは細かいところに気が付くタイプだから。やっぱり女性はそういう機転が利くんだよね」と言い出したのですかさず「いや違います性別じゃなくて経験年数と仕事のこなし方のクセですよそれ」と返してしまった。「女性だから(細かいt頃に気付く、言わないことも察せられるetc)」というの、私より少し上以上の世代の女性が言いがち。年下は言わない。現在の中高年男性はセクハラ引っ掛かりを警戒している分、逆に何も言えずにいるパターンは増えてきたけど、女性上司とか年長者は警戒がないぶん言い回しが古臭いままだったりする。この上司は私より少し年上くらいだと思うけど、喜怒哀楽がはっきりしていてせっかちで、たまに嬌声を上げつつ親し気に話してくるタイプなので、同性の同僚で聞き役が欲しい人なのだろうとも思う。こっちは一ミリを気にしていないのに「紅一点だけどがんばってね」という気遣いボキャブラリーが最初の挨拶だったことを思い返すと、この上司も心細いのかな…(別に職場に女性が少ないわけではないが、私とは全く違うベクトルで馴染まないのかもしれない)という気がする。しかし、あてにされてもマルチタスクがさらに増えるだけなので私にとっては一ミリもありがたくない。