昨日、ドカ食いダイスキ! もちづきさんという新連載のグルメ・料理漫画が流れてきて、文字通り21歳の女性が主に自炊したハイカロリーな飯をドカ食いする内容なのだけど、「食」への対峙が自分とはあまりにもかけ離れていて全ての描写に戦慄した。血糖値に振り回されながら今すぐ食べたいと急ぐ我慢のできない食欲、ソースやマヨを大量にかける塩分油分過多なジャンク嗜好、そしてカロリー大量摂取後の「至る」というハイな境地……。弱小胃袋で少食な自分にしてみれば、作中のオムライスや照り焼き弁当やカップ焼きそばは茶碗一杯が限界だし、ジャンクなバカ飯(私は自炊中食外食問わず、あの類いのカロリータコ殴り系の食事はバカ飯と普段から呼んでる)は消化不良と肌の不調に悩まされて翌日までぐったりするだろうから、完食後の「至る」状態は到底理解できない。なので漫画自体は大食漢あるある(?)の体感というか、精神が食欲、というよりも一種の依存に身体が引っ張られる詳細な描写は興味深く読めた。食生活の不健康さを作者が理解してこそのギャグ全振りというのが巧いけど、この手のギャグにされがちな依存を伴う嗜好性や、生活や行動の幼稚な粗雑さ(これをセルフネグレクトと表現している方がいて納得)は、それに共感している読者の、豊かさへの能動を放棄した一市民の貧しさやナイーブさといった状況に付随しているものとも感じる(この手の作品がSNS中心に市民権を得ているのは社会も個人も不健康でうっすらネガティヴだ)。安価でアルコール度数の高いストロングゼロ愛飲もドカ食いに近い類だけど、これらに依存する幼稚な不健康さはしばしば笑い話にされるが、常に依存してる側の「笑って許せる類の、シリアスにしないでほしさ」意識が透けて見える……気がする。
先日ちいかわを初めてアニメで観たら(原作は読解しにくく話が理解できないと友人に言ったらアニメ視聴を勧められた)、ちいかわたちは日々食べ物の事ばかり考えていてなるほどなぁと思った。小さくて可愛くて、賢くも強くもない無害な生き物たちは、それが平和な日常と言わんばかりに毎日様々な食べ物を楽しそうに摂取している。
例えば心身が弱っている時の「犬猫動画だけ見ていたい」という類いの外界社会シャットアウト感覚は、「とりあえず食べ物、それも市販で安価で身近なもの」への希求にも共通しているのではないか、と最近は思っている。別に疲れた時に愛玩動物や食べ物で癒されること自体はセルフケアとして批判すべきではないが、自分自身の無害さを盾にした思考の放棄でもある。日々のSNS空間では政治社会の「しんどい」ニュースと日々の食事写真が並列するコントラストがあるけれど、自身や他者への無害さを希求すると、おそらく自分の見える視界には食べ物と猫しかいなくなる。依存的に食べ物のことしか考えない状態は、食べ物以外の「考えるべきこと」から逃避している。
もっと言うと、共有されうる食べ物はチェーン店やコンビニメニューが大半だったりするので、貧しさにおいて皆同じという意識の延長にあるというか、同調可能な共通言語としてこれらが選ばれ周囲と目配せをしなきゃならないのが、ほんとに、バカみたいだなぁ、とため息をついてしまう。無害であることを免罪符にして許されると思うな。
と憤りながら出勤してコンビニのカフェオレを飲んでいる。