11/21〜26

uchili0315
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公開:2025/11/30

11/21

じっと見る。

金曜日、今季初のおでんを食べる。うろん、おでんには反応しない。三連休だけど文フリが中日にあり、最終日じゃなくて助かったと思いつつ、作業も詰め詰めな感じだな。今週はうろんの友達が増えた。通りかかりのポップアップ店にヴィンテージ扱いのty ぬいぐるみが並んでいて、棚の上で座しているヤマネコがなんともいい感じだったので連れ帰ってきた。耳の先に毛が生えてるからオオヤマネコとかボブキャットなんじゃろか。ちなみにヤマネコさんは1枚目の写真の背後に紛れ込んでいる。うろんは背後の黒いレコードケースによく乗ってポスターを吊り下げる紐で遊ぶ(いい加減やめてくれ)けど、ついでみたいな感じでヤマネコの耳の毛を舌でひと舐めして梳いている。サンドバッグなおこちゃんに比べて、やや敬意を表している感じがある。もう一個はノベルティで貰ったオーナメントで、木製でペイントされたねこ。こちらはテレビ台に置いた。あまり関心を示さない。

11/22

午前に動物病院。キャリーの中におこちゃんを放り投げたらうろんがスッ…と入ったので即扉を閉める。閉じ込められたことにすぐに気づいて抗議のにゃあおん、これが病院に入るまで続く。病院では沢山のニンゲンとイヌとねこがいることを察したうろんは「無」になって気配を消し、キャリーの中でじっとして病院の壁を見ている。まるでここにいないかのようなステルスっぷりはニンジャ。ニャーンズコレクションで紹介された絵画では、箱座りで半透明になって気配を消しつつあるねこが描かれているけど、こういうシチュエーションを見るたびに半透明ねこを思い出す。診察中も抵抗せず、泣かず、目だけ45度下を向き、瞬きをせずに心身滅却している。その後我々と引き剥がされたうろんはマイクロチップの注射をされたが、大人しかったですよとスタッフさんに褒められた。避妊手術の予約は一カ月先になった。発情期ターンにバッティングしないことを祈る。体重を測るとうろんは2.3kgになっていた。動物病院で診察を受ける犬たちはリードに引かれていたりベビーカーみたいなキャリーに乗っていて、飼い主同士の会話がある。「お利口な柴ですねぇ」「豆柴の血が入っていて小さいんですよ」みたいな。気配を消すねこの飼い主は交流の余地がない。待合室で、うろんと一緒に「無」を保つ。

昼にやっと三人展のDMが完成して、すぐに確認して貰えたおかげで即入稿。お待たせしましたぜ……。夜は飯田橋ルパンで重版記念イベントがあり、蛙坂さんと若本さんが相変わらずキレキレだった。顔見知りばかりの客層なので、私はうろんの発情期と避妊手術の話をめちゃしてた。話を聞くと、神沼さんちのロシアンブルーは小柄らしくて今のうろんと同じくらいだとか。世間のキジトラは7kg級がザラにいるので、はたしてうろんの最終形態がどこまでデカくなるのか、楽しみなような、不安なような…(腹の上に寝られたときにダメージを感じたくない)

11/23

文フリ。出発時間を読み違えてギリギリ到着しつつもなんとか間に合い、教室仲間かつ文フリ出店している菫さんが、すぐに新刊うろん本を買いに来てくれた。嬉しすぎる。今回は個人誌を初めて作ったけども、こういう機会に何かしらの文章を一冊にまとめると、私のほうでも書き手としての整理整頓ができるし、読んでもらうのが友人知人だけであっても充分ありがたい。いやむしろ、友人知人が限りなくパーソナルに書いた本を読んでくれるということが嬉しい。

うろんは紙が好きなので、放置したら角を齧られそう。本棚に飾っていたらうろんに落とされた。

11/24

さすがに今日はオフモード。久しぶりに昼間から湯船に浸かり、家で酒を飲む。とはいえ、買った本は積んで未読、諸々あいさつや、通販手配や、稽古の音声を確認したり原稿や人形作業も山積みなので、作業はあんまり片付かなかった。

ベッドで本を読んだり音声聴いたりしていると、布団の上から微妙な顔をされる。まったりご満悦に見せかけて、おまえ若干うるさいからゆっくり寝れないんだよな、と、睡魔に襲われかかっている変なバランスが顔に出ている。

pressure

11/25

朝ごはんの、オールドファッションのドーナツを連れが食べ始めたら膝の上のうろんが立ち上がる。鼻先をドーナツに寄せて、ポロポロ落ちるカケラをちまちま食べる。うろんの牧歌的なさまを見ていると、連れの頭の中でピーターラビットとわたしが再生され、茶色いうろんラビットのピクピクが愛おしく…なったのかならないのかはさておき、うろんの耳はよく透ける。光が透過すると鮮やかな赤い血管が見える。

夜に桂健枝郎さんの独演会を観た。毎年この時期の開催なので恒例行事のノリで観ている。オリジナルの話を聴くたびに話づくりの見事さに舌を巻くけど、話の構造は構成美を感じるけど、言葉のリズムやテンポが伴わないと発揮されない面白さなので、やはり話芸で担保されているのが落語なのだなと思ったりした。

11/26

帰り道のご近所で、ねこを抱いて散歩するおじさんとすれ違った。抱き抱えられた姿勢での散歩はさぞかし退屈だろな…と思ったけど、そのねこは大人しくニコニコしていて、まんざらでもない様子。こんな散歩もアリなのかと驚き。うろんの場合、抱っこされて自由にならない状態は迷惑そうにするけど、抱っこされたら視界が高くなることに気づいてからは周囲を観察している。(あそこのレールに登りたいな…)みたいな顔をする。部屋の登頂計画を練っている。

垂狐さんの作品集出版記念の個展を観る。垂狐さんが飼っていたハムスターのまちむは教室に預けられたこともあって会ったことがあるけれど(小さくせわしなくごはんを食べていた)、作品集の完成を見届けて天寿を全うしたそう。ガラス張りのショーウィンドウになる位置に寝かされて展示されていた大きな子のつま先がちょっとだけ欠けていて、まちむが齧った跡をそのまま残した状態になっている。

人形を完成させる、あるいは人形が「人形」としての生まれる瞬間はどこにあるのだろうと、作るたびに思う。特に粘土造形で手彩色だから、造形も塗りもやればやるほど手が込むので、いくらでも弄りまわしてしまい、やめどきを決めるのが難しい。良い人形はちょうど良い塩梅でのやめどきがあり、その工程の終わりに完成があるのと同時に、人形にアニミズムを見出す瞬間というのもある。お迎え先が人形の人生の始まりかもしれないし、経年による変化もまた、人形の一部になる。まちむが齧った跡を持って生まれた子は既に愛情の痕跡があり、人形が生まれる前の時間が身体に刻まれている。造形としては敢えての未完成ということになるが、人形のたましいの数は、一つじゃない。

@uchili0315
卯ちりと暮らすねこ、うろんの日記