連休、友人と2泊3日で田沢湖エリアを旅行。一度秋田に行ってみたいし連泊しようよ、という友人の提案に乗り久しぶりに秋田県内に入ったのだけど、内陸部は全く土地勘がないのでごく普通の観光。今年は県内で怪談取材を目標にしていたけれど、今回は角館でご老人と話した際に聴けたのは怪談ではなく戦時中の体験だった。沿岸部と比べて内陸は空襲が少なかったようで、昭和10年生まれのマダムは幼い頃、呑気に戦闘機に手を振ってたら怒られたらしい。疎開先はいまの芸術村付近で水を張れない田んぼの草毟りを手伝わされた等等。特に高齢者からは聴けるうちに戦時中や戦後の昔話を聴いておきたいし聴ければラッキーだなと思う。全ての昔話は唯一無二の貴重な一個人の体験なので、どんどん私に話してくれませんかね……。
土地勘はないと言いつつも、この時期に道端や野山に生えているムスカリ、水仙、ふき、ヒメオドリコソウ、芝桜、スギナ、シャガなんかを見ると、ああ久しぶりだなぁ、懐かしいなぁと思う。小さい頃に手に触れて摘んだ植物をまじまじと眺めるのも20年ぶりかもしれない。角館は桜が終わっていたけど、田沢湖はまだ咲いていた。ふき、そこら中に生えていやがる……!
しかし観光名所や自然よりも、久しぶりに訪れて1番印象に残ったのは、空き家と廃墟、古い建物の多さかもしれない。田沢湖をぐるりと周り、バスや電車から家々を眺めていると、懐かしい形状の昭和の建築がぞんざいに残っていて、その多くは空き家もしくはあまり修繕されていなくて、壁が日に焼けて梁や手摺が壊れてる…という状態に驚く。通りに面した場所であっても、廃ホテルや閉店済みの商店が多くて取り壊されずに放置されたまま何年か経っている。少子高齢化と人口減、経済の縮小というネガが景色に反映されており、決して喜ばしいことではない。が、「ゆっくりと朽ち果てていく廃墟」の、建物の死後が可視化されている(取り壊されていない上に荒らされもしていない)状態の貴重さに思わずカメラを向けてしまう。
↑は角館駅からまっすぐ武家屋敷に向かう商店街にあった閉店済みブティック。什器だけでなく商品もそのまま残っているのが珍しく、木内デパートと同時期に流行った店なんだろなぁと思える照明デザイン。なんて貴重なんだろう……
わざわざ廃墟探索に行くほどの趣味はないし違反をするわけにはいかないけれど、歩きながら「昭和建築、このまま解体されたら勿体無いな…この部分を取り外して持ち帰りたい…」「今すぐドア開錠して中に入って写真撮りたい…」という欲が生まれるくらいには色々な廃墟や空き家が沢山あった。これが一番の発見だったけど、その感覚はツーリズム的にはいやらしい侘び寂びの一種かもしれない。経済と人の活性化を願うべきだが、多少観光客が賑わったところで…みたいな及ばなさがあらゆる「僻地」にはあり、独特のうらぶれ感を醸し出している。幸い訪日客は多かったけど、彼らは旅行先のああいう建物に対してどんな印象を抱くのかは少し気になる。