先日、とある施術を受けた際に「ちょっと視線の動かし方を見せてくれない?」と言われて、目の前にある相手の指先を目で追う、ということをした。360度ぐるりと視線を動かしてみると、下は滑らかに動くけど上はうまく動かせなくて、目の使い方にも個人のクセとか筋肉のつき方のばらつきがあるのかなと思った。これをやってくれた人に視線の動かし方で何を判断しているのか聞くと、相手の視界に入るべき場所を探すためらしい。私は下方の目の動きは滑らかなので下側はセーフゾーン、逆に動かしにくい上方に相手が来てしまうと無意識に警戒しがち、ということらしい。なるほど。確かに(背の高い人が苦手というのは決してないが)、視界の上からいきなり頭を撫でられたり、上方から声が飛んできたらムッとするかもしれない。支配や管理が嫌というマインドゆえか……?
対人サービスを受けると、サービスの範疇だったり提供者の技量やホスピタリティの次第だけど、心身共にフィードバックを貰えたりして、最近だと「不調は胃腸に出やすい体質」とか「感覚が鋭く感受性も尖り気味だが頭で理論つよつよ思考なので頭を使いすぎ」とか「自分で意識してないけど気を遣いまくる、でも気遣う相手は選びたい方」等等の自身のストレスフル側面の説明が複数の相手から出てきたりする(そうなのか?)。しかしながら、私は「ストレスを感じる」トピックであまり共感を得たことがなくて、周りの人は無理して頑張りがちな結果隊体調を崩しちゃう人が圧倒的に多いけど、私は苦痛や痛みに弱いから、たとえば寝れないとか歯が痛い等に対してすぐギブアップして休むから、あまり頑張ってないよなぁ、と思ってる。それは良いことだと言われるけど、無理をしないことに対して自罰的ゆえに、私は「無理しなさ」を肯定せずにわざわざそこからストレス生成してるのでは…?と最近は考えてた。本末転倒すぎる。なんでみんな無理できるの?すごいね!!くらいの気持ち。