2024年はこの言葉をたくさん聞いた。
ニュースはあまり見聞きしてないので、自分の身の回りの範疇だけで結構聞いたということだ。
私は資本主義が好きなタイプの人間なので、会社のライフサイクルとして人の増減があるということは健全なことだとは思っている。そういう話を聞いたときに、情報にアクセスがあって、会社レベルで考える視点があったら、そうだよな・・と感じることも多いかもしれない。
欧米は日本に比べて人材の流動性が高いと言う。レイオフもその流動性の中に一つの要素として含まれていると思う。実際レイオフされた人も、間を置いて、また別の仕事をしていくことも多い。ただし次の仕事へのハードルというのは、流動性の高いと言われる欧米において、思ったほど以上に高い・かつ時間がかかるというのが今年の気づきだった。自分も「そういうことあっても次があるんでしょう」と無意識に思っていたんだと思う。
私のように外国人であれば難易度が高いのは想像がつく。けれど永住権を持っている人やカナダ人にとってもその難易度が高いというのは結構ショックだった。半年〜1年仕事が見つからないという話も珍しくない。半年〜1年無収入だと、生活を維持することに支障をきたすこともあるかもしれない。私は俄然支障をきたす。今年、社外の友達でレイオフにあったという人が4人いた(うち2人がカナダ国籍)が、なんと反応していいのかがわからなかった。今もわからない。
自分は運良く今はサラリーマンを続けているが、この「運良く」というのは謙遜はほぼなくて、本当に運が良いと感じる。もちろんそれが起きないことを願って必死に働くというのは前提としてあるが、起きるときは起こるのでコントロールできないことも多い。執着すると(なくなったときに)辛いから、あんまり仕事に没頭しすぎるのもなと思う自分もいるが、普通に日々の結構な時間を使っているし、まァやってりゃ執着というか愛着も生まれてくる。そしてそれは仕事の成果への影響という意味ではプラスのことだと思う。
それに頼らず稼ぐ力をつけよう!みたいな売れないビジネス書みたいな声がたまに自分の中で響く。今年は初めてフリーランスをやってみて、昨年に比べてばサバイブ力?はあがったような気もする。けど、自分にとって今の仕事はこの地と繋がっているというか、いる意味を感じる一つの手立てでもあるので、普通に失いたくない。逞しくなったといえばそうなのだが、そういうことを気にせず日々を生きられる方がハッピーだと思う。
(カナダグース。人権もとい鳥権が強すぎて車も道の横断を譲る。グースは悩みなさそう)