人々がさまざまなことを言っているが、本当のユーザたる「カンファレンスにこれから参加しようとする人」に必要な情報なのだろうか...って気持ちになったので、お気持ちを書いてみるの巻。
結論
大前提
現代のカンファレンスには行動規範があるため、最低限一読し、その内容には従う必要がある
(逆に、意図せず不愉快な思いをするリスクも減っている)
楽しそうなので参加する場合
カンファレンス開催側、コミュニティとして有益か?... Yes
自分にとって有益か? ... 場合による、最初はYes
自分にとってのコスト ... 限定的(会費など)
何かしらのコミットメント(LT登壇する、等)を持って参加する場合
カンファレンス開催側、コミュニティとして有益か?... Yes
自分にとって有益か? ... 大きくYes
自分にとってのコスト ... 相対的に大きくなる。金銭的以上に時間的、頭脳労働的なコストが大きくなる
解説
まず、行動規範はちゃんとしたカンファレンスなら、形式的ではなくちゃんと考えて掲示してあるものなのでちゃんと把握したほうがいいだろう。
ただし、内容は基本的に極めて常識的で、そもそもカンファレンスに参加する理由が「楽しみたい」であれば行動規範に反することが起こる可能性は極めて低いはず。
その上で、「楽しそうなのでふらっと参加する」場合から考える。
まず、カンファレンスの運営側としては、ぶっちゃけた話一定の動員がないと、持続性が生まれないという事情がある。なので、どういう背景であれ参加していただくだけで大変ありがたいのである。ということで楽しそうでもなんでも、ちょっとしたモチベがあれば参加してくれると嬉しい。
参加していいとかそういう話じゃなく、歓迎される。はず。
その上で、参加した上で得られるものとかコスパみたいな話がどうしても混ざってくる。
コミュニティ的なものに初参加であれば、ぶっちゃけ空気を感じるだけでもプラスの効果が大きいので、参加するとお得だと思う。RubyKaigiみたいな規模なら尚更そのはず。
一方で、参加者を何度か繰り返していくと、得られるものも少しずつ逓減していくのではと言われると、まあそれはそうだと思う。ただ、そう思ってからあらためて次のチャレンジを考えれば良さそう。それは、例えば誰かに話しかけるとか、登壇者に1つ質問してみるとか、そういうレベルでいいと思う。
(私含む)人によってはそのカンファレンス/勉強会/etcに何かしら貢献できないのなら特に参加しないというスタンスの人もいるといえばいるが、要するに個人個人の事情なので、気にしなくていいのかなと思う。
もう少し個人の意見を言うと、登壇するとか、スタッフ手伝うとか、その辺りまでカンファレンスにコミットしてくると、リターンがめちゃくちゃ大きくなってくるので、そこまでチャレンジすることはそりゃ勧めたい。一方、こう言うコミットメントには単に金銭的じゃない要素:
時間的要素
コミュニティのために「考える」ことで貢献する要素
がコストとして出てくる。人によってはこれらは金銭よりも拠出しにくいと思う。そのため誰にでも、と言いづらい気持ちもある。
また、そのリターンも単に「就職しやすくなる」とか即物的な感じじゃないのがまたむずかしいのだった。エンジニアとしてよく生きるには? みたいな話が出てくる。
なんか、コミュニティにどっぷりしている人からの関連で話すと、どうしてもコミュニティが自分に与えてくれるもの〜みたいな観点になりがちだが、「楽しそうなので参加していいか?」という部分だけ考えたら一旦無関係かなと思うので整理してみたが、かえってこの文章はなんだろうって気持ちにもなってきた。気にしないでください。なんだっけ? ベテランの言うことは話半分?