民主主義の幻想を超えて

uhiroid
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太陽の熱で苦しめられている今日この頃、ようやく東京の都知事選が終了した。大方の予想通り、勝者は小池百合子だった。続投である。

SNSでは、さっそく絶望の声が上がっている。この光景もいつも通り。人々は自分が応援していた候補を持ち上げ、対立候補を貶めている。

私は誰にも投票しなかった。私の投票基準は、歳出削減をすること、規制を緩和すること、ビットコインを推進することなどだが、有力候補でこれらに該当する者はいなかった。もちろん、完璧に自分と考えが一致する候補者などいないわけだが、半分すら一致していないとなると、さすがに投票する意味がない。そういうわけで、投票用紙はシュレッダーにかけた。

こういうことを言うと、「変な人が都知事になって東京がひどいことになってもいいのか」と怒り出す人がいる。まだ民主主義に幻想を抱いているのか、あるいは民主主義以外に社会を改善する方法がないと思っているか、どちらかだろう。

客観的に見れば、ここ100年で民主主義のおかげで社会を大幅に改善できた例は、おそらくない。かつてはソ連のような社会主義を批判していたが、今ではその社会主義のように政府が肥大化している。それが証明されたのが、近年のコロナ・ロックダウンだろう。人々の行動を厳しく制限するような政策が可能だったのは、まさに政府の権力が肥大化していたからにほかならない。

都知事選では、まともな候補が少なすぎるという声があった。この問題は、どの選挙でも、もうずっと同じことが言われている。日本だけでなく、アメリカもそうだ。アメリカ人は、なぜトランプとバイデンというふたりの痴呆老人から大統領を選ばなければならないのかと嘆いている。ほかの国々もだいたい似たようなものだ。

例外と言えるのは、エルサルバドルのブケレ大統領と、アルゼンチンのミレイ大統領くらいか。ブケレ大統領は、ビットコインを採用して財政を改善し、ギャングの逮捕を徹底することで社会に秩序をもたらした。ミレイ大統領は、オーストリア学派の教えにしたがい、政府の歳出を削減し、中央銀行の廃止を目指している。

ただし、ここで注意しなければならないのは、両者とも社会がひどい状況になってから選ばれた、という点だ。特にミレイ大統領は、中央銀行による強姦が続いた果てに、ようやく市民が資本市場の重要性を認識したことで誕生した。

社会が経済的に衰退してから、人々が市場の重要性を認識するようになるというのは資本主義的な働きであって、民主主義ではない。やはり、民主主義そのものには、社会の衰退を食い止める力はないということだ。

現代の政治家は、目先の得票を優先するため、近視眼的な政策ばかり掲げる。こうなる理由は、『ビットコイン・スタンダード』と『フィアット・スタンダード』(日本語訳版は未発表)で詳細に分析されているため、ここでは省略する。重要なのは、財産権が尊重されないかぎり、同じことが繰り返されるということだ。

今回の都知事選、SNS上では、ひまそらあかね氏と安野たかひろ氏が話題になることがあった。だが、どちらも財産権には興味がないようだった。

安野氏は、AIとGitHubで民意を集約し、政策に反映することを目指していた。実のところ、彼の政策はかなり社会主義に近い。かつて社会主義者は、「政府によるトップダウン方式では経済計算ができない」というミーゼスの批判に対して、大規模な消費者調査によって計算を行うと反論した。調査によって税金の使い道を決めるという点で、よく似ている。

しかし、このやり方は失敗する。この手のやり方は、結局のところどれだけ高度なテクノロジーを使っても、アンケートに過ぎない。アンケートでは、人々は往々にして、経済的トレードオフを無視した願望を書き連ねるようになる。試しに、都知事選前に安野氏のシステムでどのような提言がされているか見に行ったが、案の定「各家庭に太陽光パネルの補助金を」という話が挙がっていたので、そっ閉じした。

一方、ひまそら氏は「公金チューチュー」と呼ばれる利権、無駄遣いをやめさせると公約していた。ここまではいいのだが、彼は、そのかわりとしてクーポンアプリに税金を用いると発表した。当然ながら、それはただ利権を移し替えているだけではないのか、という批判が噴出した。

このとき、主に減税派と呼ばれる人々とひまそら氏がバトルをしていたのだが、そのなかで氏が興味深い発言をした。「税金を使うことを否定するほど自分は極端ではない」というようなものだった。おそらく、大多数の日本人がひまそら氏の発言と同じことを思っているだろう。

徴税するとは、他人のお金を勝手に奪うということであり、税金を使うとは、そのお金を勝手に使うということだ。つまり、現代の日本では、「他人をお金を奪ってはいけない」というのは、極端な考えとされている。いや、日本だけではない。どこの国もだいたい同じだ。

もっと具体的に言うと、彼らは、一般人は勝手にお金を奪ってはいけないが、政府ならば奪っていい、と考えている。ここに、民主主義の本質がある。つまり、民主主義とは、誰が財産権を侵害してよいかを決める制度なのだ。

一応、憲法では財産権を侵害してはならないとされているのだが、不思議なことに、税金や通貨の切り下げといったことは、その限りではないらしい。ほとんど誰も、まったく問題にしていない。

しかし、オーストリア学派が指摘するように、財産権とは、社会における道徳の基盤である。これが侵されると、秩序は乱れ、不正や犯罪が横行するようになる。特に、政府が行う犯罪を止められなくなる。

社会の衰退を食い止め、再び発展へと向かうためには、民主主義を超えて、財産権の尊重を取り戻す必要がある。幸いなことに、今の世界にはビットコインがある。このテクノロジーは、まさに政府による簒奪から市民の財産権を守るために発明された。選挙で「少しでもましな候補者を探す」という不毛なことをするかわりに、ビットコインを支持することで、はるかに社会へ貢献することができる。

ビットコインは、法定通貨ネットワークの外側に存在するため、政府であっても容易に奪うことができない。この特性を利用し、ユーザーは危なくなった地域から別の地域に引っ越す際、効率よく資産を持ち運ぶことができる。

これが、「東京がひどくなったらどうするのか」という問いへの答えである。東京であれ、大阪であれ、もっと言えば日本そのものであれ、住むメリットよりもデメリットのほうが上回ると感じたら、他地域へ引っ越すのだ。海外の場合は言語の壁があるが、最近はAIの進歩によって翻訳技術が向上しているため、この問題は年々クリアされつつある。

悪いサービスにはお金を払わないのと同じように、悪い政府には税金を払わない。この資本主義的な行動こそが、社会を変える最良の手段である。

@uhiroid
人生は哀なり。