かつてTwitterという名前だったSNSで、近年、よく見かける話題がある。社会保障問題だ。日本の社会保障――年金や医療といった分野では、もはや無視できないほどの世代間格差が顕わになっている。情報もかなり蓄積されてきていて、そこそこ有名なアカウントが「格差なんて存在(または大したことない)」などと言おうものなら、即座にソース付きで具体的な反論が飛んでくる。
別の話になるが、以前から「AIに無断で学習させるのを原則禁止にする」という政治テーマが話題になっている。ChatGPTの登場以来、AIが急速に進歩しているので、こういう話が出てきた。
実は、これらに共通していることがある。それは、どちらも「現状維持をしたい」というのが根本の動機にあることだ。
なぜ今まで社会保障を改革できなかったのか? 利権の絡み合いなどいろいろな理由によって、「現状を維持」したかったからだ。なぜAIが学習することを規制しようとするのか? AIの発展によって自分たちの仕事の価値が下がるのではないかと考え、「現状を維持」したいからだ。
これら2つのテーマ以外にも、日本にはさまざまな「現状維持」の圧力がある。「現状維持で何が悪いのか」と考えている人も多いだろう。
当事者たちは、自分たちの利権や収入が失われる可能性があるのだから、反対するのは当然の権利だと主張するだろう。なるほど、それ自体は当然かもしれない。だが、反対することが第三者を含めた人々の利益にまでなっているかどうかは、別の話である。
そもそも現状維持というものは、永久に維持できるものではない。人間は常に変化しており、価値観が変われば、それは市場にも反映される。人間は飽きる生き物であり、常に新しいものを求める。新しいテクノロジーや新しいアイデアは生まれ続ける。それらを政治の強制力でいつまでも抑えることはできない。これが人間社会の現実である。
無理に現状維持を続けようとすれば、それは必ず市場のどこかに歪みを生み出し、社会全体の衰退を招くことになる。日本の苦境の原因――現在の不幸を招いた理由は、ここにある。