中国の若者のあいだで「歴史的垃圾時間(日本語で歴史のゴミ時間)」という概念が流行っていることを知った。とても面白いアイデアだと感じたので紹介したい。
歴史のゴミ時間とは?
「歴史のゴミ時間」は、中国のインターネット上で最近広まっている表現で、社会や経済の停滞、個人の努力が報われない状況を指す言葉である。このフレーズは、スポーツにおける「ガーベッジタイム(試合の勝敗が決まった後の消化試合時間)」に由来し、社会全体が無意味な時間を過ごしているという皮肉が込められている。
中国では、経済の減速や若者の高失業率、社会的な閉塞感が広がっており、多くの人々が将来に対する不安や絶望感を抱いている。このような状況下で、「歴史のゴミ時間」という言葉が、現代中国の停滞感や個人の努力が報われない現実を象徴するものとして使われ出したのだろう。
また、中国共産党の重要会議である三中全会を前に、「歴史のゴミ時間」という言葉が広まり、共産党系メディアがこれに反論する動きも見られたという。
以上は中国の話だが、近年の社会的・経済的停滞感は日本を含む各国で共通している。現在の我々は、世界的な「歴史のゴミ時間」を生きていると言える。
「歴史のゴミ時間」の興味深さ
「歴史のゴミ時間」という概念は非常に興味深い。社会が自然の法則や経済法則から逸脱した結果、個人の努力が報われず、停滞や混乱が続く状況を説明するのに適したメタファーだと言える。
この概念には以下のような重要な要素が含まれている:
自然法則・経済法則の逸脱 社会が市場の自由な調整を抑えたり、中央集権的な政策で不自然な干渉を行うと、経済は歪み、効率が損なわれる。ミーゼスやハイエクといったオーストリア学派の経済学者が指摘したように、価格システムや自由市場のメカニズムを無視すると、資本の誤投資や誤配分が起こり、結果的に社会全体が停滞するのである。
個人が報われない社会 社会の構造が硬直化していると、個人の努力や創意工夫が成果に結びつきにくくなる。この状況では、希望や達成感が失われ、特に若い世代が未来への期待を持てなくなるという心理的な負担が増す。「ゴミ時間」という表現が皮肉を込めて、こうした無力感を強調しているように思える。
政策の失敗が明らかになるのを待つしかない 「ゴミ時間」は、既存の政策が効果を上げず、むしろ社会の問題を悪化させているのが明らかでありながら、すぐに改善される見込みがない状態を示している。このような期間は、不満が蓄積し、人々が受動的な態度に陥りやすくなる一方で、破局や劇的な変化の予兆ともなり得る。
哲学的な視点 「ゴミ時間」という表現は、哲学的にも興味深いテーマを含んでいる。それは、歴史が進化や進歩だけでなく、無意味にも見える停滞をも含むという洞察である。人間社会の歴史が直線的ではなく、停滞や退行、混沌の中に新たな秩序が芽生える過程を内包していることを示唆している。
「歴史のゴミ時間」を生き抜くためには
停滞や閉塞感が支配的な時代を生き抜くためには、政府や中央集権的な仕組みに依存するのではなく、自らの手で選択肢を広げていく姿勢が求められる。特に重要なのは、経済的な自由と自己決定権を強化することである。
ビットコインは、そのための有用なテクノロジーである。これは、中央集権的な金融システムから独立した、検閲耐性のある価値保存手段を提供する。
これは、株式のようなペーパーアセットでは不可能なことである。株式は法定通貨建ての金融商品であり、インフレや政府の規制に影響を受けやすい。また、ゴールドのような耐インフレ資産であっても、そのほとんどはペーパーアセットとして所有されており、常に没収のリスクに晒されている。政府がそんなことするはずがないと思ってる人に向けて指摘しておくと、日本の政府は、戦後のハイパーインフレ下で、国民の資産を没収した前科がある。一方、ビットコインは簡単に取引所から取り出し、自己保管することができる。
さらに、ビットコインのネットワークは、国境を越えた価値の移転を可能にし、グローバルな経済活動への参加を容易にする。これは、一国の政策や規制に縛られることなく、世界中の機会にアクセスできることを意味する。
つまり、ビットコインは単なる投機的な資産ではなく、「歴史のゴミ時間」における個人の経済的自由を守るための重要なツールなのだ。政府や中央銀行の政策に依存せず、自己主権的な経済活動を可能にするビットコインは、停滞の時代を生き抜くための具体的な選択肢として、ますます重要性を増していくだろう。
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